こんばんは。けーごです。
改元おめでとうございます(?)
政府ともに国民も祝い方を戸惑う改元でしたね。年越しそばならぬ改元そばも食べる方もいらっしゃって、新鮮でした。
さて、今回は信州を周遊しました。
当初、このGWに東北リベンジを勘案していましたが、初任給では賄えないことに気づきました。そこで、日本百名山を望みに3泊4日で長野県を一周しました。
続きを読むこんばんは。けーごです。
社会人を始めて1ヶ月経ちました。研修に忙殺され、インフルエンザに罹患しました。GW明けからも研修は続きますから、体調管理には留意します。
HONDA CRF250 RALLYを納車して1年経ちました。この1年間で走った距離は26500km。北海道から九州まで、何泊も苦楽を共にしました。どの旅も思い出深いです。
「1年で26500km乗りました」とホンダドリームの店員さんに告げると二度見されました。もはやこの反応を楽しんでいます。
総じて、このバイクを気に入っています。しかし、購入を検討している方には、特徴を理解し、対策を講じた上で乗っていただきたいです。今回は、自分の気づいた特徴を3つ記します。
1. 足つきは慣れる
CRF250 RALLYは、片足をつけて止まりましょう。慣れます。
シート高895mmは最大の特徴。両足をつけると、指の腹までは着きます(身長173cm,体重60kg)。足つきは悪いです。
しかし、両足ベタ着きはそれほど大切でしょうか。自転車でそんなに両足つけていましたか?舗装路の信号停車は片足つけば問題ありません。ガレ場に向いていないので、セローの二輪二足は必要ありません。片足は十分につくので、慣れましょう。
2. エンジンは応える
CRF250 RALLYは、ギアを選べば期待以上によく走ります。
CRFのエンジンは、RFVCエンジンに比べて全域において小さなパワーです。最大トルクは同じです。燃費は35km/Lで、RFVCエンジンに比べ向上しています。
CRFのトルク感は、4000, 5000, 6000回転で一段ずつ上がります。特に、6000-8000回転のトルクバンドは気持ちいい。全開7500シフト、ぜひお楽しみください。
CRFは、6速3900回転で60km/hを示します。街乗りにおいて快適に巡航しますが、登坂する場合はギアを選びましょう。3200-4200回転で全開にすると、エンジンがスナッチを起こし、カカカカと音を立てます。ずぼらな走りはしにくいでしょう。
トルクバンドに入れっぱなしであれば、ワインディングはかなり走ります。個人的にはXLRより速いです。気味よく変速して、パワーを使い切る感覚は軽二輪ならではでしょうか。
3. サイドスタンドが長すぎる
CRF250 RALLYのスタンドは長すぎるので、15mm切りましょう。
CRF250 RALLYは、250Lに比べ、サイドスタンドが長くなっています。これは、小さなキャスター角によってマウント位置が上昇しているためです。これにより、スタンドを立てるとマシンは少し傾くに留まります。通常であれば大きな問題にはなりません。
しかし、キャンプツーリングのような積載時には問題です。CRF250 RALLYのサスペンションは柔らかいのです。スタンドを立ててバイクを起こしても、ほぼ直立します。傾斜に合わせて停めるか、後輪に板を挟むなど工夫しなければ、転倒させてしまいます。これまで、何度もこれに悩まされました。ぼくにとって、CRFの最大の欠点です。
CRF250Lのスタンドでは短すぎるため、Lをつけるとマウントを曲げるかもしれません。余力のある方は、CRF250 RALLYのスタンドを15mm切りましょう。ぼくは、15mm切って3mm板を溶接しようと考えています。ノーマルのまま乗る方は、十分に注意してください。これは洒落になりません。
CRF250 RALLYはいいバイクです。
スクリーンはバイザー直下まで風を切り、カウルは脚全体を風から守ります。アクセサリーバーはナビをつけても問題ありません。シガーソケット用のカプラーはカウル内側に準備されています。(しっかり走るなら)タイヤ次第ですがオフロードもよく走ります。クラッチは少し弱いかも。
強いて言うなら、タンクはあと3Lほしい。400kmは無給油で走りきりたいです。燃料計の目盛を均一な量にしてほしい。6/6は2.5L、2/6まで1Lずつ、1/6で2L、点滅から1.5Lあります。目盛は目盛なので正直に示してほしいです。それぐらいでしょうか。
今後、SP忠男のパワーボックスをつけ、マップホルダーとラリーコンピュータをつけてラリー仕様にしようと思案しています。ツーリングにも行きたいのでカプラを介して簡単に着脱できないか妄想を続ける日々です。限られた初任給ですから、少しずつ使います。GW後半はどこ行こうかな。
では。
こんばんは。けーごです。
立命館大学大学院より工学修士号を取得しました。晴れて大学院を修了し、学生を終えました。高額な授業料にも関わらず通わせてくれた両親に深謝しています。大学受験に失敗しましたが、自分なりに多くのことに挑戦した6年間でした。お気に入りの写真を振り返ります。
立命館大学写真研究会に所属しました。中高を捧げた競泳をやめ、大学では写真に真剣に取り組もうと入会しました。これは、新人展のデビュー作『ぼくの眼にその夢を』です。これから新天地の関西でがんばるだ、と意気込んだ作品でした。後にも先にも、文字を主体にした作品はこれだけでした。インプットしようと必死だった当時を思い出しました。
学祭展に3年間すべて展示しました。学祭展では、来場者に投票をしてもらう企画がありました。3年間すべて最も多く投票していただきました。学祭展は大きな自信を与え、モチベーションを保てました。
写真研究会では、合同写真展「華」を開催しました。北海道大学写真部はじめ、北海道・京都の4団体で開催した写真展です。自分の街をPRすることで旅の斡旋を目的にした写真展でした。京都は観光客に華を添えてもらっているんじゃないかと考え、地付き目線と観光客目線の双方を展示しました。後述のロケット製作と重なり多忙を極めましたが盛況に終わりました。写真研究会のみならず、大学を通して最も印象的な出来事でした。北大のみんな、ありがとう。
写真研究会の後半では、組作品(複数の写真で構成される作品)に挑戦しました。自分の思想を、どういう写真と言葉と展示で表現していこうか勉強になりました。根源を問うようになったのは組作品を通して培ったからでしょう。いい取り組みでした。
写真研究会で代表を務めた一方、RiSA(Ritsumeikan Space Association,ロケットを製作する団体)にも所属しました。メンバーの買ったルマンドを食べたら入らされました。CAD利用技術者検定1級を取得したこともあり、ものづくりの勉強にと始めてみると難しい。いつ加工しよう、いつレポート書こう、いつ写真展を準備しよう、朝に仮眠するために帰宅する日々を過ごしました。
写真は、打ち上げたロケットです。ぼくらは、夏を打ち上げました。
正課・課外と離れた私生活を振り返ると、多くの旅をしました。
1回生の夏は免許取得のため長く帰省し、特に思い出がありませんでした。これでは寂しいと、ふと大阪環状線を徒歩で一周することを思いつきました。8時間かけて歩き、足が破断するような疲れを覚えました。翌年、トレッキングシューズで挑めば7時間弱で達成したので、そのさらに翌年は山手線を徒歩で一周しました。さすがに12時間かかりました。しかし、大阪や東京がどういう街なのかを知れて、とても有意義でした。
鉄道旅もしました。門司港で人力車に誘われたら電車に乗り遅れたり、友人へ会いに上京したり、渡道したり。青春18きっぷはもちろん、一筆書きの複雑な経路の切符で旅したり。北大にお世話になったこともあり、次第に北海道への思いが強くなるきっかけでした。
自転車旅もしました。12時間で走破した琵琶湖一周、両足つりながらのお伊勢参り、日帰り輪行の角島、同期6人で日帰り積車のしまなみ海道、学生最後の夏らしく大きなサイクリングをと意気込んでスマホ・財布・鍵・カメラをすべて失った24 Century Ride、どれも思い出深いです。次はどんな自転車旅をしようか。
大学を通して最も予想外だったことは、バイクに乗り始めることでした。「自分の足で漕ぐからこそ旅に達成感を覚えるんだ、バイクなんか甘ちゃんだい!」とバイクを毛嫌いしていたぼくは、いざ原付で三方五湖へ行くと、楽しい。なんやこれ、ガソリン燃やしてタイヤ回すのめっちゃ楽しいやんけ。ずーっと下り坂の自転車旅。あれよあれよと免許を取り、酷道へ行き、千里浜に泣き、果てを目指すようになりました。
バイクは自分の時間を支える大きな存在でした。研究室に配属されて以来、バイクのない生活は考えられません。かけがえのない友です。
立命館は、未来を拓く場所を意味します。ぼくは自分の未来を拓けたでしょうか。自分なりにがんばりました。拓いた空を広げられるよう、邁進します。
では。