#GiveMeWings

discover

The Quarter Ride

f:id:centuryride0608:20190813202006p:plain

 

人生100年時代、25歳はまだ四半。

抱える悩みも、年相応にある。

 

例えば、学生時代からアイデンティティについて問うてきた。

自分とは何者であるか。他者の形容による積集合についた固有名詞であるのか。さもすれば名乗れば自分であるのか。これでは他己同一性となにが異なるのか。

 

では、自分を表す動詞を考えることが糸口にならないだろうか。自分はどのような気概で生きているか。ぼくは、過去の自分にも未来の自分にも恥じずに生きたい。どのような姿勢で作品に取り組んでいるか。ぼくは、お客様に反芻していただけるような、渾身の思想をお見せしたい。ならば、現時点の答えは「闘う」だろう。

 

時間は止まらない。悩みながらも進まなければならない。しかし、解きたいときもある。走ろう。叫ぼう。これまでの自分を総括するような旅をしよう。旅でしか昇華できない不器用な自分へ、槍のような喜びを免罪符に与えよう。自ずとそう決まった旅がある。

 

名古屋→富山 250km、自転車で本州を縦断しよう。

青い海を発ち、黒い峠を過ごし、青い海で赤い立山を見よう。

 

今年こそ誇れる旅をしよう。自分のために走ろう。闘おう。

 

The Quarter Ride、いい名前だ。

f:id:centuryride0608:20190806211657p:plain

日の出に名古屋港を発ち、渚で夜を明かします。翌日、宮峠を越え、日の入りを富山県の岩瀬浜で迎える行路です。帰りは富山駅から鉄道で戻ることにしました。

 

準備編

f:id:centuryride0608:20190807203103j:plain

今回もGIOS Vecchioで走ります。長距離仕様にすべく、前後タイヤ,前後ライト,リアキャリア,ステー,ステム,ミラー,バーテープ,ボトルを新調しました。5万円はいってるかも。

ロードバイクには、旅向けからレース向けまで種類が分かれています。今回の長距離仕様は、スポルティーフ。速く走れる旅仕様・旅に出れるロードバイクを指す自転車です。

 

f:id:centuryride0608:20190807203121j:plain

当日を想定した積載で試走すると、重心の上昇を顕著に感じます。ロールに必要な動きが大きい。短くなったステムにより、前輪のヨー方向の回転に対してハンドルの受ける影響が大きくなっているようにも感じます。フロントバッグによってフォークまわりの慣性モーメントが大きくなっているとはいえ、注意して運転しなければいけなさそうです。丁寧な運転を心がけよう。

 

f:id:centuryride0608:20190807203130j:plain

輪行できるか練習しました。さすがにリアキャリアを装着したままでは収まりません。輪行時には外さなければいけませんね。時間がかかるので、完走してホテルについたらパッキングしよう。

 

Twitterで旅を予告すると、フォロワーのKouDさんより返信が。

 

「旅先で会ってみたいです!」

 

いいね。8月12日17時、岩瀬浜で会おう。

彼は神奈川から友人と3日かけて来るそうで。よい旅を、ご安全に。

 

 

1日目 8月11日

愛知県名古屋市→岐阜県高山市 185.29 km

1日目は、名古屋港へリエゾン後、飛騨川を北上しました。

 

04:10 名古屋港

f:id:centuryride0608:20190813202831j:plain

1:30に自宅を出発し、32kmをゆっくりアップしながら名古屋港へ。去年を参考に、巡航20km/h・平均16km/hで走りました。体力の消耗は想像よりも軽いものでした。夜明け前の名古屋港につき、補給と仮眠を摂り、朝焼けを待ちます。

 

f:id:centuryride0608:20190813203214j:plain

ff - HOUND DOG を聴きながら、旅への気持ちを高めます。

 

05:08 名古屋港

f:id:centuryride0608:20190813203447j:plain

日の出だ。さあ、走るぞ。いざ、富山へ。自分のために闘おう。

 

06:10 栄

f:id:centuryride0608:20190813204227j:plain

名古屋のシンボル、テレビ塔。早朝で車も少ないですが、やたら信号に引っかかりました。半分は感応式信号機で十分です。無駄に消耗しないよう、軽めのギアで北上します。

 

08:00 犬山橋

f:id:centuryride0608:20190813205113j:plain

愛知・岐阜県境に来ました。国宝 犬山城が今日も立派です。前夜にここで花火大会がありました。資材がまとめられており、撤収作業はこれから行われるようでした。前夜に旅の準備がてら自宅の近所から見ようと試みましたが、赤く光る雲を認めるだけでした。

 

f:id:centuryride0608:20190813205606j:plain

犬山から美濃加茂までの木曽川のことを、日本ラインと呼びます。これはライン川の景色に由来します。浅い谷ながら迫力のある景色ゆえ、川下りが営業しています。犬山が再び活気づいてきたこともあり、川下りも盛況しているといいですね。

坂祝駅から美濃川合駅まで、サイクリングロードがあります。やや劣化した路面ですが、美濃加茂の信号を避けられて快適でした。途中、ひだ1号に抜かれました。行ってらっしゃい、お先にどうぞ。

 

10:20 道の駅 ロック・ガーデンひちそう

f:id:centuryride0608:20190813214359j:plain

渋滞のさなか、最初の道の駅に来ました。スタンプ押したらインクが薄くて笑っちゃいました。声を枯らした人みたいな薄さやん。この道の駅の隣には、20億年前の石を展示している博物館があります。七宗町は、東濃桧に代表される林業の町だと思っています。しかし、道の駅にはあまり木を推したものはありませんでした。あくまで石を推しているようです。意思が固いですね。

 

10:50 飛水峡

f:id:centuryride0608:20190813215139j:plain

飛騨川のハイライト、飛水峡です。甌穴群(おうけつぐん)が有名です。谷は深くないが険しい、珍しい景色だと思います。奥に見える鉄橋は高山本線です。車窓からも十分に飛水峡を楽しめます。

この飛水峡までが、実家から自転車で来たことがある北端です。当時はここから先の景色を知りませんでしたが、今ではバイクや車で何度も通る道です。自転車目線で道を見ると、細かい坂に気づきます。脚を減らさないよう注意しているとはいえ、走らないことには進まない。がんばろう。と言った矢先、富山まで200kmの青看に唖然とします。

 

11:10 天心白菊の塔

f:id:centuryride0608:20190813220510j:plain

飛騨川バス転落事故の慰霊碑、天心白菊の塔です。豪雨の深夜に貸切バスを走らせ、土砂崩れに遭った事故です。100名以上亡くなった日本最悪のバス事故です。事故後の救出作戦に心打たれます。合掌

飛騨川バス転落事故 - Wikipedia

 

12:00 道の駅 ピアチェーレ美濃白川

f:id:centuryride0608:20190813223350j:plain

塗った日焼け止めが、巻き上げられた道路のチリを付着させていることに気づきました。スネが痛み始め、困りました。日焼けは体力を消耗させますが、日焼け止めで身体を痛めては意味がない。道の駅の温泉で一度流し、日焼けを水で冷やすことにしました。

飛騨牛カレーと白川茶ソフトをいただき、飛騨川北上に向けて英気を養いました。

 

f:id:centuryride0608:20190813223435j:plain

美濃白川を越えると、山間の雰囲気が増してきます。高山本線では、鉄橋やトンネルが増え、駅間も長くなります。国道41号では、初めて登坂車線が現れます。ダンシングしてみると、楽に登れました。

ダンシングには、いくつか方法があります。最も楽なものは、片足に体重を乗せる典型的なもの。ただ、これは適切なハンドルポジションでなければやりにくいのです。今回、ステムを短くして、圧倒的にやりやすくなりました。

コンタドールのような、上半身の揺れと下半身の踏みが半波長ずれる乗り方が得意だったことを思い出しました。坂が速かった頃、たしかこれで疲れなかったな~など懐かしい記憶が出てくる坂道でした。清々しいほど晴れており、気温計も35℃を指していました。

 

14:30 中山七里f:id:centuryride0608:20190813224835j:plain

飛騨金山で休憩してから、細かい上り下りを越え、下原ダムまで来ました。ここは高山本線の名所です。時間を調べると、数分で特急ひだが来ました。ラッキー!

バイクや車では、高山本線にあまり列車が来ないように感じます。自転車では、とても列車が多いように感じます。この時間は富山行きかな、これは編成の短い便かな、あの普通は下呂止まりかな、などおぼろげな時刻表の記憶を辿りながら、道中を楽しみました。

しかし、身体は正直でした。飛騨金山~焼石~下呂の2区間は、20km以上あります。駅をひとつの目安に走ると、負担の大きな区間です。細かい上下もジャブのごとく響きます。まるで去年の国道306号です。引き足に留まらず回転の接線方向の力を意識して漕いでも疲れが抜けません。困った矢先、下呂の直前にコンビニを見つけ、間一髪でした。

 

16:30 下呂温泉

f:id:centuryride0608:20190813231026j:plain

いや、そんなぼくの自転車を見て悲しまなくてもええやん。

 

f:id:centuryride0608:20190813231301j:plain

飛騨川も浅くなり、次第に上流に近づいています。疲れもひどくなり、眠気も増してきました。VTR250のライダーにヤエーをしていただき、元気づけられました。ぼくも自転車にヤエーしますが、いざしてもらえるととても嬉しいです。

 

17:40 飛騨小坂

f:id:centuryride0608:20190813232532p:plain

細かい上下から、上りになってきました。いいパンチで消耗してきました。しかし、お構いなしにやってくる登坂車線。おらー!このー!など言いながらテンポを崩さず登ります。

 

f:id:centuryride0608:20190813231904j:plain

登ると、飛騨小坂の温泉街が近づきます。こんなところに宿を構えるところが温泉郷らしいですね。日没を迎えていることに焦り始めました。目的地の渚まであと1駅。でもここからきつい。ん~

 

f:id:centuryride0608:20190813233732p:plain

トンネルを抜けたら渚も目前というところ、トンネルは自動車専用道でした。旧道に入ると、ひだが通過しました。いいタイミングだ!あと少しだ、頑張ろう。この後、この日一番きつい坂が待ち受けていました。渾身の登坂で、労ってきた脚を使い切りました。

 

18:40 道の駅 飛騨街道なぎさ

f:id:centuryride0608:20190813234156j:plain

なんとか道の駅に着きました。道の駅は当然営業していません。

 

道路情報館には、国道41号の沿革が展示されていました。国道41号は、位山官道,益田・越中街道に由来します。

飛騨は、優れた大工の揃う国でした。優れた大工を「飛騨の匠」と総称します。8世紀はじめ、国は都づくりのために、「飛騨の匠」100名を1年交代制で出役を義務づけました。代わりに、租庸調のうち庸調(労働・織物)が免除されました。この匠が通った道を、位山官道といいます。現在の岐阜県道98号にあたり、飛騨川沿いでない道です。左甚五郎も通ったのかもしれませんね。

益田街道は、16世紀に飛騨川沿いに開削されました。美濃・京都へ向かう街道として栄えたそうです。国道の制定後、益田街道は二級国道155号に指定されました。後に重要さを認められ、一級国道41号に昇格されました。とはいえ、当時の宮峠は1車線未舗装路。展示されていた写真では、広域基幹林道の雰囲気です。現在、線形改良・拡幅・舗装されています。今後、宮峠トンネルによってバイパスするそうです。

 

労ってきたとはいえ、やや厳しい1日でした。夕食を摂れないことを想定していたので、補給を多めに摂っていました。今晩は水で乗り切ります。ベンチに横たわると、そのまま熟睡しました。

 

2日目 8月12日

岐阜県高山市→富山県富山市

2日目は、宮峠を越えて岩瀬浜を目指しました。

 

05:00 道の駅 飛騨街道なぎさ

f:id:centuryride0608:20190814095908j:plain

目覚めはとても良く、疲れも存外ありません。誕生日を迎えた友人に電話し、7:20に出ました。

 

海辺でないのに渚という地名が気になり、調べました。かつて、この辺りに飛騨川に渡し船がありました。その渡し船の起こした波が遠い海を思わせるから、という由来だそうです。四阿山にも似たロマンでした。

 

08:00 宮峠

f:id:centuryride0608:20190814100406j:plain

モーニング分水嶺。宮峠は、登坂車線を終えてからもまだ登るタイプでした。登坂車線で曲道だと先の見えない不安があります。ろくに身体も温まらない中の登坂で、いきなり厳しくなりました。思わず峠ではバカヤロー!と叫ばざるを得ません。渚が標高600m近いのでたった200mの登坂ですが、自転車にはきついですね。

 

f:id:centuryride0608:20190814101232p:plain

宮峠を降りると、パニアバッグが裂け始めました。おお、派手だね。タイラップで応急処置をします。

 

f:id:centuryride0608:20190814101409j:plain

後ろ側も裂けていたので、コンビニ買ったタオルを裂いてロープ代わりにします。もやい結びにしたら大丈夫そうでした。今度からは、たこ糸か長いタイラップ、マルチツールを持つようにします。いい勉強だ。

 

09:20 高山

f:id:centuryride0608:20190814101842j:plain

高山市街が近づき、急に視界が開けました。せっかくなので高山を散策しました。飛騨国の役所、陣屋です。朝市の訪問は初めてです。賑わっていました。

 

f:id:centuryride0608:20190814102005j:plain

高山の食べ物といえばみたらし団子。今では飛騨牛寿司が流行っていますね。久しぶりにみたらし団子を頂きました。あ~この味だ、おいしい!

 

f:id:centuryride0608:20190814102227j:plain

中橋も撮り、小京都を代表する古い街並みも歩きました。飛騨の匠のおかげか、京都よりも京都らしい景色に思います。通りすがりなりに楽しめたので、高山を離れます。

 

10:30 道の駅 アルプ飛騨古川

開けつつも山に挟まれた田園風景は、さながら中富良野のような景色でした。十勝岳のようなシンボルになる山がなくて寂しいです。飛騨には百名山がいくつかありますが、どれも街道からは見えません。乗鞍、御嶽は案内の看板を見るに終わり、麓を感じて我慢しました。

 

ところで、なぜ飛騨と呼ぶのでしょうか。美濃は、3つの平野から成りますが、飛騨はわかりません。調べると、12年前のラジオで紹介されていました。

この中を要約します。語源は山のヒダヒダが多いから。棐陀(それぞれ、ゆがんだ弓,山崩れの意)でヒダと当て、好字に改称する国の通達後、名馬の産地にちなみ飛騨となりました。

このラジオの記事内では、その後の飛騨にちなむ伝説などを紹介されています。木曽駒もこういう話あったなと思えばやはりそうでした。山と川は万物を育てますね。


f:id:centuryride0608:20190814121702j:plain

飛騨古川を出て、宮川を下ります。国道41号は、神岡に向けて数河峠(すごうとうげ)に入ります。鉄道の通る道は高低差が小さいので、国道471号・360号を通って猪谷を目指しました。小さいとは言え、頻繁な上り下りがありました。景色の良さが救いでした。飛騨川のような凹凸の激しい岩とは異なり、宮川では細かい岩石が特徴的ですね。

 

f:id:centuryride0608:20190814123609j:plain

名古屋港を発って200km、いい山間です。本当に気持ちいい。入り組んだ尾根で街までどれぐらいかは見当つきません。

 

f:id:centuryride0608:20190814125420j:plain

坂上駅近くに自販機を見つけました。水と炭酸で一服します。この旅で9Lの水を飲みました。今日もすでに35℃で、とても暑いです。たまのトンネルや小滝がとても涼しいです。厳しい暑さと疲れを引きずりますが、もうあとは下りばかりと言い聞かせて走りました。

 

f:id:centuryride0608:20190814133519j:plain

タイトルの写真を杉原駅近くで撮り、猪谷まで長いトンネル2本を走ります。冷えていてありがたいのですが、やはり車の音に怖さを覚えます。猪谷さえ出てしまえばあとはもう街なので、ペースを上げて走りました。

 

13:20 道の駅 細入

f:id:centuryride0608:20190814151733j:plain

国道41号に入り、猪谷に着きました。これから下るばかりだと思えば、目の前にきっつい上りが表れ、痛い出費をしました。昨日の疲れを引きずっているせいか、思うように踏めないシーンが増えてきました。とはいえ昼に猪谷なら、御の字だろう。ゆっくり食事しました。初めて食べる富山ブラックラーメン、おいしかったです。たまに食べたくなる味ですね。ソフトクリームもいただき、甲子園の八戸学院光星 - 智弁学園の試合を見ながら涼んでいました。

食堂の壁には、冠雪の立山を背後に街中を疾走する北陸新幹線の写真のカレンダーがかけられていました。北陸新幹線を手放しで喜ぶ県民の姿勢に、気持ちがとても高まりました。鉄道に特別な興味を持たなくても、新幹線は人の視線を集め、街を活気づけ、日本を縮める。改めて北陸新幹線が長く親しまれてほしいと心から思いました。

 

f:id:centuryride0608:20190814153001j:plain

笹津駅手前の橋梁です。名古屋港を発ってから迫り続けた山や尾根はすべてなくなり、空が広くなりました。待つのは街と海だ。自然とペースが上がりました。

 

16:40 富岩運河環水公園f:id:centuryride0608:20190814153654j:plain

景観の良いスターバックスで有名な公園に来ました。澄んだ日には立山が背後に見えるそうです。今日は雲がかかっており、はっきりと認められませんでした。剣岳らしき山頂は見えましたが、立山と併せて見られないのであれば意味がありません。残念ですが、次回の宿題にしましょう。

次第に磯の香りが強くなってきました。巡航速度も上がり、積載とともに分水嶺を越えてきたとは思えない力強い走りをしました。

 

17:08 岩瀬浜

f:id:centuryride0608:20190814154720j:plain

岩瀬浜に着きました。ああ、着いた。本当に、ぼくは名古屋から走って来たんだ。奇しくも名古屋港を発ってちょうど36時間。いいじゃないか、図ったような終着だ。

今回、時間・体力のプレッシャーはそこまで強くありませんでしたが、総合的に旅をする力を試されました。トラブルの対応も早く、補給の計画も順調でした。あとは、忘れ物をせずに帰るだけですね笑

 

関東から3日かけ力走してくれたKouDさんたちも無事に到着しました。ぼくの旅のために冒険をありがとう。1日目からの疲れで2日目にお尻が爆発し、松本から糸魚川まで輪行した後に、今日自走したそうです。DNFすら考えたというほどの葛藤を克服した旅は、これまでで最も過酷だったと。どの景色が素晴らしかったか聞いてみると、山梨県北杜市の景色と返ってきました。ああ、田園と八ヶ岳だ。やはり勇猛さが旅を盛り上げるのだ。素晴らしい。完走おめでとう。ありがとう。

 

f:id:centuryride0608:20190814161011j:plain

日没まで談笑し、富山駅前のホテルに荷物を置いて、飲みに行きました。過去の旅の話やバイクの話などで盛り上がり、幸せな時間でした。同じ旅をしてくれる仲間がいることをとても嬉しく思います。自転車ではありますが、互いにラリーストですね。平たい語彙でしかこの喜びを表現できませんが、恵まれています。ああ、いい旅だ。いい仲間だ。

 

The Quater Ride / NAGOYA - TOYAMA

ROUTE

走行距離:269.05 km

走行時間:26:50:00

獲得標高:1751 m

 

ROUTE + LIAISON

走行距離:311.58 km

走行時間:29:20:00

平均速度:19.1 km/h

最高速度:46.8 km/h

獲得標高:1760 m

 

 

3日目 8月13日

富山県富山市→愛知県犬山市

3日目は、鉄道で帰りました。

 

08:40 富山駅

f:id:centuryride0608:20190814211451j:plain

富山、コンパクトシティへの執念を感じます。新幹線の改札口からまっすぐに路面電車の乗り場があります。今年度末には富山ライトレールと市電が直通するので、北から南まで柔軟に移動できます。バス停には、多くの行き先のバスが頻繁に発着しています。国道41号経由の猪谷駅行きなどあり、抜かりがない路線網に驚かされました。路面電車とバスのダッグが広島や長崎のような便利さですね。

デパ地下よりも大きなお土産屋コーナーもあり、富山駅だけでも十分に時間を過ごせます。帰りの車内で食べるます寿司、時間つぶしに今食べるかまぼこなどを買いました。お土産は、羽二重餅にしました。王道の冒険には、王道の土産をね。

 

f:id:centuryride0608:20190814212224j:plain

帰りは、特急ひだ8号です。グリーン車の最後列の席にして、荷物をまとめて置きます。グリーン車のシートピッチの広さは感動もので、3時間半の車窓を快適にさせました。

 

f:id:centuryride0608:20190814213113j:plain

旅路を振り返りながら、列車は進みます。あの坂きつかったな。あの橋綺麗だったな。あのトンネル寒かったな。ああ、楽しかったなあ。自然と目頭が熱くなりました。ああ、本当に素晴らしい旅だった。雄叫びをあげるようなゴールではありませんでしたが、十分に浄化させ、自らを誇れる旅になりました。ます寿司を味わいながら、思い出を噛みしめる鉄路でした。

 

f:id:centuryride0608:20190814214030j:plain

13時過ぎに美濃太田駅に到着しました。最寄駅に友人が迎えに来てくれたので、コーヒーを飲んでから帰宅しました。

帰宅して、ウキウキでメモリーカードを差し込むと

 

「フォーマットしてください」

 

は?え?嘘でしょ?え?また?いやいやいやいやいやいや勘弁して

しばらくモータースポーツの記事を読み、現実逃避してから再度挑戦したら無事に読み込みました。バカヤロー!もうメモリーカードを買い換えよう...

 

出走前、完走できるか不安でした。昨年よりも長い行路、厳しい気温、大きな荷物。しかし、挑み、着いた。これからもぼくはやっていける。これからも自分のために闘おう。挑もう。走ろう。次は、どこへ行こう。皆さんも、旅をしませんか。

 

#ComeRideWithUs