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TRIAL RALLY Rd.10 御嶽 開催記

❏ 山岳信仰の追走

山だ。
旅路から山を、幾度も見てきた。
名を知らずも、目を留めてきた。
我々は山を、標と覚えただろう。

山は。
山は風雲を生み、雨をもたらす。
山は雨を集め川を生み里へ注ぐ。
我々は山を、恵と認めただろう。

山よ。
我々はみな山に生かされている。
生かされた御霊は山へ還るもの。
我々は山を神仏と捉えただろう。

皆よ。
文明に立つ今、私は知りたい。
山への畏怖を。山への崇拝を。

山よ。
我々の国には、なにがあるのか。
我々の祖先は、なにを見たのか。
我々の原点を、我々は見に行く。

還ろう。御嶽へ。

 

 

 

 

 

❏ TRIAL RALLYとは

TRIAL RALLYは、コマ図を用いて走行時間の正確さを競うオンタイムラリーである。スピードを競うスプリントラリーではない。

 

競技規則

TRIAL RALLYでは、コマ図を用いて、各ステージごとに指示された走行時間通りに走破することで、走行時間の管理能力を競う。時間感覚を養うことで、ライダーのスキルを向上させ、バイク文化の発展に貢献することが狙いである。

 

本大会は、8年目10回目であり、最後の大会である。この記事は、大会当日の記録とともに、ルート設計意図を記す。

 

 

❏ ルート設計

1 背景 山岳信仰

日本は、国土の8割を山地で占めている。秀麗な山容、威厳の岩山、雄大な山脈は雨を生み、川を作る。河川や湧き水は田畑を潤し農作物を育み、日々の生活を支えてきた。耕作以前の狩猟・採集の時代においても、山は動植物や鉱物などといった資源の源泉であった。

しかし、山は静かに佇み恵を与えるだけではない。噴火、山崩れ、洪水などといった、人々を死の淵に追いやる存在でもあった。こうして、山は畏怖すべき自然であり、神仏を宿す場所であり、祖霊の鎮まる場所であるなど、人々によって多様に意味づけされてきた。

仏教に代表される宗教の伝来を受けて以来、その修行が日常からの解脱を起点にする以上、山岳修行を主軸とする宗教者が輩出されてきた。里に住む人は、そうした宗教者を山の神の力を体得し救済してくれる存在と信じて崇拝してきた。こうした悟りをもたらす山岳修行は修験道として確立され、密教・道教や土着の山の神の信仰などを合わせた独自の神仏習合の形態を作り出していった。

修験道の影響により、日本各地には修験の霊山が生まれた。神仏習合の山岳信仰が定着して以来、庶民も講と呼ばれる組織に参画し、信仰登拝が栄えた。しかし、明治の神仏分離政策によって修験道は解体され、霊山への登山も信仰登拝からスポーツ・レジャーへと変遷し、宗教の意識は薄れていった。

現代では、信仰対象としての霊山の役割は変化しているが、山が資源の源泉であること、畏怖すべき自然であることは不変である。こうした山岳信仰の視点から、日本文化の原点を知ることはできるのではないか、とこのラリーを着想した。

 

参考文献

霊山と日本人(宮家 準, 講談社学術文庫, 2016)
山岳信仰(鈴木正崇, 中公新書, 2015)
山の神々(坂本大三郎, A&F, 2019)

 

1-1 御嶽信仰

山岳信仰の拠点となる霊山は、御嶽(みたけ)と呼ばれてきた。この木曽の御嶽は、富士山と並ぶ秀麗な山容を持つことから、王の御嶽と呼ばれるようになった。ここから、王嶽(おのたけ)、御嶽(おんたけ)と転じた由来がある。

御嶽への信仰は、奈良時代にはすでにあった。疫病を鎮める天皇の勅命により信濃国守が登山し祈願した記録がある。以降、御嶽は空海も登拝した修験道として確立されていったが、江戸時代に尾張藩の管轄となり木材の保護を目的に入山を禁じられてしまう。

しかし、江戸中期、覚明行者や普寛行者の宗教家による無断登拝を契機に、入山が解禁される。以降、御嶽講が誕生し、御嶽信仰が広まった。御嶽信仰は「死後の御霊はお山へかえる」というものであり、山岳信仰の原始を色濃く残している。

現在、御嶽信仰は、御嶽教、木曽御嶽本教など、多数の教団に分かれて存在する。御嶽の周辺には拠点となる神社がある上に、入山しても御嶽神社が存在する。御嶽登山では、墓参りに来た一般客も多くすれ違い、御嶽信仰が受け継がれていた。山頂では、富士山・穂高・白山と眺望し、ここに自分が還るというのも理解できるほど神聖な境内だった。

www.ontake.jp

 

 

1-2 白山信仰

一年の半分を雪に纏う白山。先人たちは生活を司る白山には神々や先祖の霊が宿ると畏れ、敬虔な祈りを捧げてきた。白山によって里が豊かになるにつれて、白山の力を得ようと山に分け入る人が現れた。

その一人が泰澄である。白山最高峰の御前峰での瞑想時に九頭竜王が出現し、自らをイザナミノミコトの化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗ったことから、白山信仰が生まれた。

白山へは、加賀・越前・美濃から3つの禅定道と呼ばれる修験道が設けられた。以降、白山信仰の賑わいに伴って、全国に白山神社が建立された。その数は2716社に上り、山岳信仰の祖である熊野信仰に次いで盛んな山岳信仰であったという。現在においても、白山を望める場所をはじめ、多くの白山神社が現存する。

美濃禅定道は、美濃番場と呼ばれる長滝寺白山神社から白山中居神社・別山と経て白山へと向かう。取材では、車で行ける範囲の限界である白山中居神社まで巡った。廃仏毀釈に伴って、神仏習合の山岳信仰のかつての在り方は失われてしまったが、平日にも関わらず遠方から訪れる人々の数から、文化は受け継がれているようだ。そして、白山文化博物館に記された鮎川信夫による山岳信仰の詩は、ぜひ訪問して読んでいただきたい。

kukuruwomeguru.com

 

 

1-3 伊吹信仰

伊吹も例に漏れず山岳信仰の対象であった。仏教の浸透により、僧侶は地域の治安に貢献するようになった。次第に、紛争に抗うために武装した僧兵が登場した。伊吹は、その僧兵の拠点として栄えた場所である。

とはいえ、伊吹は山岳信仰の対象に足る山容である。近江・美濃・尾張のどこから見ても伊吹は素晴らしい。おおらかさ、厳つさ、眺める角度によってその印象は異なるが、人の目を留めては離さない。

 

 

2 主題 山岳信仰の追走

山岳信仰は、古来培ってきた日本の文化だ。そして、その形態は時代ごとに変遷し、現代にも受け継がれてきた。

仏教では、仏像を見たり合掌や説法を通して感じるものがあるのなら、我々にもすでに悟りのポテンシャルがあるという。同様に、山を見て感情が動くのであれば、我々にも山岳信仰が芽吹いているのではないだろうか。

山岳信仰を知ることは、日本への解像度を高めてくれるはずだ。

 

一方、ラリーレイドは、内燃機関で大陸を移動する、未知への誘いで現代人を惹きつけた。

パリダカールラリーが始まったのも、西洋人にとってアフリカ大陸が未知だったからである。日常と異なる環境に身を置き、進むべき道を見つけていく。それが開拓の追体験に映ったからこそ、多くのアマチュアがエッフェル塔に集い、サハラ砂漠へ向かったはずだ。そして、過酷な3週間を砂漠で過ごし、ついに見るダカールの海に涙する。文明から脱却し、自分と対峙して奮闘したからこそ、彼らはルートに物語を見出し、眼前の景色に感動したに違いない。

知らないものを走って知る。それが、ラリーレイドが冒険と呼ばれる所以だと思う。

 

しかし、日本では大陸のスケールを持たない上に、インフラが整備されている。内燃機関で描ける冒険には限界がある。そこで、文化を遡ることで日常から離脱できないか考えた。

我々が住む国の背景は何か。我々の祖先は何を見たか。我々の祖先は何を感じたか。

GPSでデジタルに居場所を示してくれる現代に、巻物の地図と景色を頼りに走るアナログなラリーレイドだ。社会の発展に伴って忘却された、文化の起源を再発見しに行こうではないか。

知らない日本を知る。日本を駆け巡り山岳信仰を知る。山岳信仰の追走が、日本でできるラリーレイドであろう。

 

これが、私の描く最高峰のラリーである。

 

 

 

3 ルート仕様

TRIAL RALLYのロゴは、御嶽を象っている。御嶽がこれほど偉大な霊山でありながら日本アルプスに含まれない孤高の存在だからだ。TRIAL RALLYも、唯一無二のラリーであってほしいと願い、御嶽を選んだ。最後は御嶽へ行くというのは、ロゴを描いたときから決めていたことだった。

 

そのタイトル回収となる御嶽では、シリーズ最高峰に相応しい仕様の大会であることとした。

走行距離:過去最長(300km-325km)
大会難度:過去最高
得点分布:最高値98pts、平均値75pts、中央値60pts

 

TRIAL RALLYは、ルートをいくつかのSTAGEに区分し、それぞれのSTAGEで目指すべき走行時間を指示する。これまで、参加者が事前に大会側から知り得る情報は、GRAND START地点・コマ図・走行距離・指示時間であった。これらの情報は大会1週間前には公開し準備に充ててもらった。これにより、参加者が自力で得られる情報は、ルート、平均速度である。Google Mapで事前に調べ、どの道が正念場か対策できることを禁じていなかった。対策も実力の一部と考えたからだ。

今回は、参加者の心技体を試すことに徹するために、参加者が事前に大会側から知り得る情報は、GRAND START地点・走行距離のみとした。つまり、コマ図を当日に配布し、指示時間を受付で公開する。手元の情報と、景色からの情報を元に、定刻に着くための走り方を走りながら考えてこその、真の腕試しと考えるからだ。

ラリーに必要な要素は、技量・頭脳・度胸だと考えている。このうち、頭脳の比率を増やすことで、参加者固有のポテンシャルを評価しようとした。

 

次に、仕様を決めよう。

解散時刻:16:00
走行時間:7.5時間
STAGE数:3

 

御嶽は、街から遠い。御嶽を見るには必ず山中になる。街まで戻って解散では400kmになる。山中で完走して団らんしても、明るい時間に幹線道路へ降りてほしい。また、後泊するならば18時までにはチェックインして身体を休めていただきたい。そうするためには、16時解散が求められる。

16:00までに300km走るには、平均速度40km/hとして7.5時間。CPを2ヶ所とすると休憩1.5時間。1分間隔の30台出走として出走6:30だ。

STAGE 1を最長距離、STAGE 2を難易度高め、STAGE 3を減点率-2pts/minとすれば、それぞれのSTAGEに競技上の特徴が出る。体力もかなり必要になりそうだ。

 

 

3-1 Prologue 長良 (78.98km / 2:02:00)

御嶽では、山岳信仰の追走を主題にルートを描いたが、質と量が大きい。そこで、大会の雰囲気を手軽に楽しんでいただけるように、個々の山岳信仰を取り上げたプロローグとして仕立て直した。Prologue 長良は、白山信仰をテーマにしている。美濃禅定道を辿り、先人の追体験をする趣旨だ。

長良では、従来のバイク向けの指示時間の設定の他に、自動車・自転車も個別に設定した。いつでも誰とでも楽しめるようなラリーにしたかったからだ。どの手段で出走しても新しい発見があったが、特にサイクリングラリーシリーズ TRIAL CYCLE として走行した自転車での出走が印象的だった。ミスコースが体力消耗に直結するゆえ、ひとつひとつのコマへの執着が大きくなる。FINISHに近づくにつれて白山への思いが募っていく様は、形は違えど先人の追体験をしたように思う。

 

 

3-2 Prologue 霊仙 (76.16km / 1:52:00)

続くPrologue 霊仙では、土着の山岳信仰を捉えた。御嶽神社を持つ御在所岳の麓をスタートし、日本唯一の三蔵法師である霊仙が開いた霊仙山を訪ね、琵琶湖に峙つ伊吹を見て終える。歴史を感じ取るよりも、山に目を留める体験を重視してルートを引いた。

ポスター写真は、初めて公開したコマ図 SHIGA100 の撮影地点とした。TRIAL RALLYとして一定評価をいただけるようになってからこの場所に戻ることは、私にとって意味があった。

 

 

3-3 STAGE 1 (131.50km / 2:59:00)

STAGE 1は、伊吹信仰を題材にルートを描いた。

琵琶湖を見守る伊吹のおおらかな佇まいは百名山に相応しい。一方で、濃尾平野から眺めると角張ったたくましさが光る。この伊吹の持つ多面的な印象を共有し、同じ山でも多様な慕われ方がされてきた山岳信仰の多様性をコマ図に綴った。

 

琵琶湖。ここは対岸が最も遠い長浜市。海と見紛うほど広いこの湖は淡海と呼ばれてきた。

琵琶湖はTRIAL RALLYの原点である。最後は、母なる琵琶湖から父なる御嶽へ還ろうではないか。

 

中山道は柏原宿で曲がって迎える伊吹。小山の間から見る伊吹は、まるでスポットライトを浴びるかのように輝く。これが、近江の誇る山である。

 

伊富岐神社周辺を通り、修験に用いられたエリアを走る。20kmに及ぶ舗装林道の傍ら、振り返ると全く姿の異なる伊吹を見る。

そうして伊吹と別れ、北へと向かう3時間の長丁場。ダイナミックでテクニカルな舗装林道が成績を左右するが、1時間ごとに計時すれば調整しやすいステージである。ただし、最後の4kmはタイトな道を選び、速度超過による巻き返しを阻むようにした。舗装林道群を抜け、残り距離での平均速度を計算しておけば攻略できる設定だ。

 

 

3-4 STAGE 2 (106.88km / 2:28:00)

STAGE 2は、白山信仰を描いた。

白山信仰には3ヶ所の拠点があり、それぞれに修験道が引かれている。中部圏からは美濃禅定道が設けられ、愛知県春日井市から長良川を北上し長滝寺白山神社を経て、白山へと導かれている。

この長良川は、白山の麓である大日ヶ岳を源流とする。郡上からは、大日ヶ岳の奥に白山山系の別山を眺めることができる。STAGE 2では、郡上の拠点を巡りながら美濃禅定道を走り、白山へ向かう人々の見た景色を辿った。

 

競技面では、全体の26%を林道で占め、走行技術を問う構成とした。眺望のよいフラットな区間もあれば、流水痕が日に日に深くなっている区間もある。コマ図の注記を確認しながら、瞬時にラインを判断できれば難しくはないだろう。しかし、常に平均速度を意識しなければ勝負権はない。最後の20kmは、高低差の大きな舗装林道を通し、挽回できない設定にした。林道で遅れた人は絶望するだろう。だが、どんな道でも一貫した速度で走れるかを問うているのがTRIAL RALLYである。

 

街は川によって栄えていくものだが、郡上八幡は特に水と関わりが深い。名水百選に初めに選ばれた宗祇水に象徴されるように、水路が街の礎となっている。

 

そして、ユネスコ無形文化遺産の郡上踊りだ。郡上の踊りは、大きく白鳥踊りと郡上踊りに大別される。

白鳥踊りは、白山信仰の伝授手段として誕生した念仏踊り。一方、郡上踊りは、士農工商の融和を図るために導入された盆踊りである。どちらも宗教を背景に持つ踊りではあるが、信仰を根付かせる踊りと根付いた文化を親しむ踊りが、現代にも受け継がれている。

郡上踊りがどれほど親しまれているのか、その魅力が何かを知るために、昨夏に郡上踊りのハイライトである徹夜踊りに参加した。全く知らない人と顔を合わせながら踊りを楽しみ、足の痛さも下駄のリズムも無意識になっていく頃、「おはようございます」の締めで終わる。由緒あるフェスという印象を受けた。昇華されていく感覚は唯一無二だ。

昨夏の徹夜踊りの会場となった交差点を、STAGE 2のオンコースとした。

aun-web.jp

 

郡上踊りの拠点を離れ、白鳥踊りの拠点へと向かう。長良川の奥には、大日ヶ岳・別山と眺めることができる。オンコースの奥、目に留まる白い別山の裏には白山が控えている。そして、両脇の山中を巡れば、そこかしこに白山神社がある。競技中に認識するのは難しいだろうが、白山の恵をこの地域では命に換えている。

山岳信仰を目の当たりにするステージだ。

 

 

3-5 STAGE 3 (81.09km / 1:41:00)

STAGE 3では、御嶽信仰を体感する。

御嶽を一心に走り続ける旅の終わりだ。渡る川、上る谷、走る道、そのすべてが御嶽へと通じる。ついに見る御嶽で心を揺らし、御嶽で理を知る。眼前に広がる御嶽へ抱く感情は、先祖の抱いたそれと同じであろう。

 

行こう、御嶽へ。

ルートはすべて快走路で構成した。当初は林道も検討していたが、夕方にかけて疲労した参加者にトラブルが発生すると安全に関わるため、舗装路限定とした。STAGE 2の厳しい設定に惑わされ、STAGE 3では早着が見込まれる。減点率を高めることで、オンタイムへの意識を残す設定とした。

 

麓にはまばゆい新緑に溢れている中、御嶽へ向かうにつれて彩豊かになっていった。

 

飛騨の御嶽は不意を衝く。登山口からひた走り、残り2kmで迎えるこの迫力は、言葉を超えた感情をもたらす。御嶽を前にし、ただ頭が下がり、涙を流すばかりだった。

唯一無二のオンタイムラリー、その最高峰を最高潮で終える。刮目せよ、我らが還る御嶽を。

 

 


❏ TRIAL RALLY Rd.10 御嶽

エントリー23台、出走17台。チャンピオン経験者は2名。最後のチャンピオンを手にするのは誰か。

今回は、招待枠と一般枠を設けた。歴代チャンピオンや、Rd.8 伊吹に参加いただいた方、TRIAL RALLYのファンを中心に、これまでの感謝として招待した。みんなで御嶽へ還る集大成にしたかった。

さあ、行こう。

 

2024/5/26

05:00 GRAND START 滋賀県長浜市

日の出の琵琶湖、この静かな波打ち際で過ごす時間が心地よい。琵琶湖へ挨拶をして、参加者を迎え入れた。

 

 

 

今回は、コマ図をロール紙印刷で支給している。出走前にコマ図を装填する光景は、競技そのもの。マーキングをする人、手巻きマップホルダーの巻き取りに必死な人、様々である。なお、今回は事前にPDF配信希望者を集計し、1枚もののコマ図PDFを当日配信する対応も行った。

 

基準時計は、私の腕時計である。スタッフ・参加者含めてブリーフィング時に校正して、競技開始だ。

 

 

06:30 STAGE 1

御嶽でまた会いましょう。

 

順光の琵琶湖を目に焼き付けるために、あえて初めは南下する。

Rd.8 伊吹では、ただいまと言える滋賀への旅をした。今回は、いってきますと言える御嶽への旅だ。

 

08:15 STAGE 1

オンタイムに近いペースで駆け抜けていった。伊吹はあいにく山頂までは見えなかったが、表情は明るい。

 

肩慣らしの林道を抜けて、あとは調整の1時間だ。

 

09:30 CP 1 岐阜県関市

続々と到着した。ここの五平餅が一番のお気に入り。移動販売につき、試走時から当日食べられるかどうかを確認取っていただけに、皆さんに食べていただけて嬉しい。

 

10:15 STAGE 2

鬼門のSTAGE 2、優勝を狙う人らは前半に固まっていた。TRIAL RALLYでは、初心者・優勝を狙っているわけではない層をSTAGE 1出走時の前半に固め、優勝を狙う層は後半に固めている。前半グループが遅着しても運営に影響を与えにくいようにするためだ。

撮影地点は全体の中間地点。すでに優勝を狙う層は前半の通過順となっている。成績が大きく動きそうだ。

 

ヘビーチューブでありながらリム打ちパンクと、#701は災難に見舞われた。

 

岐阜県には20km以上の林道が3本ある。どれも素晴らしいが、ここの林道が最も路面変化の豊かでダイナミックだ。

 

11:00 STAGE 2 岐阜県郡上市

郡上八幡の街並みを抜けていく。夜の踊り子で溢れる夏はすぐそこだ。

 

タイトコーナーの多い舗装林道がSTAGE 2の終盤。CP 2直前までどこにいるかわからない。

 

12:30 CP 2 岐阜県郡上市

食事やおやつの選択肢の多い大きな道の駅を選定した。お土産も選びながら、御嶽への旅を楽しんでほしい。

 

15:00 STAGE 3

みなの到着を待つかのように、御嶽のまわりだけ晴れだした。おかえりなさい。

 

15:30 GRAND FINISH 岐阜県下呂市

ほとんどがオンタイム付近で到着。

 

御嶽のもとで、御嶽への旅路を振り返る。

「御嶽を見て涙がこぼれそうになった」

みな御嶽を前にして、心が動いたのではないだろうか。これが山岳信仰の原点、日本の文化の原点だと思う。山岳信仰の追走は、できたようだ。

 

さようならと告げたコマ図のまま、皆を御嶽から送り出す。また、日本のどこかで会いましょう。

 

最終走者を見届けた。全員が御嶽へ還った。

 

スタッフデブリーフィングの終わりがけに、妻(内定)が楯を贈呈してくれた。

「バイク文化の貢献を讃え、ここに賞します」

大学院生の滋賀時代から作り上げてきた10回の大会名を見て、それぞれの景色が脳裏を駆け巡る。還るべく還った御嶽のもとで楯を見ると、目頭が熱くなった。終わったんだな。

今は、コマ図とともに部屋に飾っている。これからも、御嶽は特別な山であり続けるだろう。

 

 

 

❏ 総合成績

 



 

 

優勝はラリーモンゴリア2023完走の#8。

厳しい設定でありながら、その実力を遺憾なく発揮いただいた。
栄誉を称えます。優勝、おめでとうございました。

 

大会成績

最高得点:97点
平均得点:71.4点
中央得点:73点

 

平均得点・中央得点ともに高い水準であった。STAGE 1, 3を多くの参加者がオンタイム付近で走破した結果だ。これだけ長距離で体力も知力も消耗する大会にも関わらず、ここまで高いレベルで競技を終えられた。これは、まさしく皆さんが走行時間の管理能力を身に着けている証であろう。

 

時間を管理する、一貫した速度で走る、一見して簡単に思える要素ひとつひとつが、実は難しい。不足するスキルを容赦なく暴露する厳しい面を持つTRIAL RALLYではあるが、高得点に向けた対策は間違いなく糧になる。今後、様々なイベントにて存分に活用していただきたい。こうしたスキルの底上げが、私がTRIAL RALLYでバイク文化に貢献したかったことだ。目的は果たせただろう。

 

 

❏ おわりに

SSTRで千里浜に魅せられて以来、私はラリーとは何かを知るために、冒険の扉を開けた。片足ではラリーパイロットとしての歩みを、もう片足ではラリーオーガナイザーとしての歩みを進めてきた。

若者が作るから価値があるからではなく、フォーマットとルートに価値があるラリーになるように、その当時のラリーへの解像度・スキルを最大限に生かしてルートを作り上げてきた。日本だからできるラリーとは何か。山岳信仰や、御嶽といった単語は浮かべても、それを紡ぐのは最後だと決めていた。

そうした試行錯誤を通して、ラリーは日常から離脱し自己対峙をする冒険であること、心技体を一致させなければ自分の道は拓かないことといった、人生の指南にも思える学びに気づけたことは、幸運だった。若さがラリーに価値を与えるかはわからないが、若者がラリーに触れることには価値があると思う。

オンタイムラリーという誰もやっていない形式のラリーを通して、少しはバイク文化に貢献した自負がある。これからは、参加者が培ったスキルや思い出話、そしてこれらの歩みを残したこの記事たちが、次の世代にも受け継がれていくことを願いたい。

 

長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。

また、日本のどこかで会いましょう。