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写真で振り返る2023年

こんばんは。けーごです。

 

今年は、立ち止まった一年でした。写真から、歩みを振り返ります。

30歳までにやりたいことをやりきり、利己から利他へ進むために、29歳ではその集大成となる濃い内容の記事を多く出しました。ここでは、内容を振り返りながら、記事には載せなかった言葉を言える範囲で綴っていきます。

 

 

❏ ラリーパイロットとして

今年、私は一人のラリーパイロットの集大成として、日本最高峰のラリーレイド大会 Tour de Blueisland - TBI の参戦を目指しました。

 

Sunrise Sunset Touring Rally - SSTR を通して、サハラ砂漠を駆けるパジェロを思い出し、ラリーの美しさを垣間見た2017年。

ラリーとはなにか。20代をかけるべき世界なのではないか。

その問いに答えるべく、TRIAL RALLYを設立し、ラリーの構造の理解を試みた2017年。その傍ら、ラリーを体験しライダーの集大成を迎えるためにTBI参戦を目指した2019年。

 

最初で最後の競技ラリーが日本最高峰のソロ参戦。ラリーでは人間・車両にかかることすべてが自己責任です。その上で、生きて帰ってくる。納得できる走りをする。自分一人でやり遂げる。集大成に対する要求事項を洗い出して、準備してきました。

しかし、コロナ禍に翻弄されて今年に予定したTBI参戦は、会社の重要なプロジェクト参画のために断念しました。ラリーよりも大切だと思ったから。

 

TBI参戦を志したこの5年間、ありったけの時間と資金をラリーに費やしました。

幻となった参戦に対して、虚しさを覚えたのは事実。一方、集大成の過程に納得していたので、結果が伴わなくてもこれ以上ラリー参戦に関心がないのもまた事実。TRIAL RALLYで培った演出力で、自分で自分に贈るラリーを形式的な集大成にできたのはせめてもの救いでしょう。

一連の記録を手記にまとめてみれば、多くの反響がありました。ラリーを知る仲間からは再挑戦への激励を、ラリーを知らない友人からは青春の軌跡への感動を共有いただきました。皆さんに見守られていたことを実感でき、嬉しく思います。期待に応えられませんでしたが、ご声援ありがとうございました。

ラリーとは、連続する選択を通した自己対峙の冒険。意志あるところに道あり。このラリーへの答えが人生の指南と知れただけでも、ラリーに青春をかけた価値はありました。

 

追いかけた砂は美しかった。

 


 



❏ ラリーオーガナイザーとして

今年は TRIAL RALLY Rd.9 中山七里 を開催しました。

今回は実験的にコマ練と共催しました。年間チャンピオンを決める3ラウンド計画でしたが、先般のプロジェクトで中止に。バランスの良い中山七里のみ開催しました。ルートはコマ練参加層に備え、大幅に易化。初めてオンタイムラリーを経験した皆様の表情を見るに、時刻を狙う醍醐味を実感いただけたでしょう。

競技結果は、100点満点が2人。初めて満点条項を適用しました。得点分布は、常連層は高得点に集中し、新規層は大きく分散。中央値が平均値を超え、競技レベルの向上が示唆されます。レギュレーションに対する解像度の高まりを感じます。

TRIAL RALLYは、オンタイムという他にはない取っつきにくい形式な以上、体験しないと理解できません。それでも競技レベルが向上しているのは、ひとえに皆様の発信のおかげです。本当にありがとうございます。

次回でお会いしましょう。ご参加いただきありがとうございました。

 

 

そして、その次回 TRIAL RALLY Rd.10 御嶽 を宣言しました。バイク向けオンタイムラリーとして最後の大会です。

想像を超える反響がありました。それだけTRIAL RALLYを評価していただき感謝します。終了する理由は3点あります。

 

1. バイク文化の発展に貢献したため

ひとつ目は、目的を達成したためです。

TRIAL RALLYでは、走行時間を正確に管理するという、成績に対するエゴを知り自己対峙するアプローチを採ってきました。コマ図への表現方法を模索しつつも、考え方は年々浸透してきました。TRIAL RALLYの意図や効果も次第に声に表れるようになりました。

「TRIAL RALLYでは自分を試されている」

道交法の下で、成績を追求する走りとは何か?極端な速度調整を選択肢に持ち続けていないか?ゼッケンをつける意味を考えているか?TRIAL RALLYが真に問うているのはエゴであると気づく人が現れました。

「TRIAL RALLYがTBIでの時間管理に貢献した」「競技ラリーの時間管理の練習にいい」

目的意識を持って腕試しする。培った技術で最高峰に挑む。知恵と技術で一秒を競い合う。ニッチなラリー界隈で一定割合を占める皆様が、オンタイムラリーを通して、走行時間の管理方法を意識するようになりました。この状況の到来は、開催目的のバイク文化の発展に貢献したと言ってもいいと思います。

機は熟しました。さあ、御嶽へ還りましょう。

 

2. 開催可能エリアが縮小するため

ふたつ目は、実務的な理由です。

TRIAL RALLYは、これまで滋賀県・岐阜県で開催してきました。ここでは、中央新幹線・濃飛横断道・中部横断道の建設が進められています。事業計画を参照すると、数年後に開催エリアで大規模工事を控えています。通行止が予想される林道も多数あります。

通行可能な道だけを繋いだラリーを繰り返すことも可能です。しかし、私は開催を目的に準備することに意味を見出だせません。質を下げるなら一切やめたほうがいいと考え、最後の開催を決めました。

御嶽は、最後のために残していた取っておきのラリーです。飛騨の本気、お楽しみに。

 

3. プライベートを持つため

最後は、個人的な理由です。

開催可能エリアが減るなら開拓すればいい話です。それは正論ですが、TRIAL RALLYの質に仕上げるために、取材・試走・運営の一連の準備に20週末を費やしている現状があります。

これは、美しい旅を贈りたいからです。テーマとシナリオを作った上で、競技として成立する美しい旅を志しているからです。もちろん、私は省力的なラリー運営ノウハウを体得しています。皆様のツボも理解しています。一方、私はツボへ置きに行く旅を作ることに納得しません。美しいものは表層的には作れません。したがって、必然と準備の負荷は高まります。

しかし、若い時間は貴重です。これ以上、支出・時間拘束の多いラリーにフルコミットし続けられません。私はラリーを仕事や家庭と並行したいと思いません。このままでは趣味では片付かない犠牲を伴います。「ラリーをしていたせいで家庭を築けませんでした」と言いたくないのです。

「自分で自分の首を締めておきながら甘えたことを言ってプロ意識が足りない」と批判されても仕方ありません。それでも、この6年を通して、ラリー前提の生活では思い描く家庭を築けるとは思えませんでした。

わがまま言ってすみません。

 

至極の旅をお届けします。

御嶽完走を誇りに思えるよう、旅を紡いでいきます。

 

 

さて、サイクリングラリー TRIAL CYCLE を公開しました。
これまで、SSTRをきっかけに個人的な旅として自転車版SSTRを企画・挑戦してきました。

 

ラリーは、自己対峙し恐怖・不安を克服する旅です。

スプリントラリーではスピード。オンタイムラリーではエゴ。恐怖・不安となる要素がそれぞれのラリーにあります。自転車版SSTRでの障壁は、やはり体力。時限の日没に向けてどう体力を調整するか?常に緊張が走ります。

コマ図が読めて、時間が読めて、体力が残って、初めて完走できるラリー。平均速度と熱量と仕事率を考え続ける。高級自転車でも漕ぐのは同じ人間。より人間に比重を置いたラリーがあってもいいだろうと考えるようになりました。これがサイクリングラリーの発案です。

 

サイクリング界隈へ視野を広げると、サイクリングルートに悩む層があります。ラリーのいち側面であるアテンダントのいないツアーを活かせるのではないか?ルートの味付けを変えることで、様々な層に旅を提案できます。サイクリング初心者から玄人ラリーパイロットまで満喫できるよう、ゆるポタグルメ巡りから激情誘うラリーまで幅広く企画しています。

競技への発展も検討できます。スプリント・オンタイムどちらもルートは簡単に作れる。免許すらいらず、家族みんなで楽しめる。サイクリングラリーこそ、開かれた究極のラリーなのかもしれないと考えるようになりました。試しにしまなみコマ図原付ツーリングを自転車で走ってみて、皆様と共有したい興奮がありました。TRIAL CYCLE 長良でもまた、強烈な刺激を受けました。

 

国内で認識している自転車でのラリーは DOA Rally Cranking というシクロクロスのラリー。徹底的に体力に向き合う形式が非常に魅力的です。

サイクリングラリーは、ラリーとブルベの積集合というニッチな領域。しかし潜在的な市場は和集合なので、多くの可能性があります。まずは市場の可能性を示すことがTRIAL CYCLEの目的です。

運営で言えば、既存の知見を活用でき、林道事情に左右されない。特定の開催日を設けないオープン制イベントであれば一度の試走で済み、生活とバランスを取ってラリーに携われます。少しずつ、追究していけたらと思います。

 

知らないラリーを、皆さんと築いていきたいですね。

 

 

❏ 写真家として

今年、私たちは展示会 人生の座標 を開催しました。29歳のいま、半生を編纂し、大学からの歩みを示す趣旨で、京都に帰ってきました。人生を通して重要な瞬間にする思いを込めて、人生の座標と名付けました。

 

まず、主催として。

企画立案時、参加者に半生の編纂という重いテーマを課し、この点を未来に打つ。この点の存在を宣言する。この点に向かって、人・意志・作品、すべてが集まる。この座標は、約束された場所に感じました。まさに、萃点(すいてん。万事が集約する点)でした。

 

約束された場所には、大きな引力がありました。その引力で集結し、私たちが打った人生の座標は、波紋を生みました。その波紋の大きさは、メンバーのこの言葉に象徴されています。

「両肩を持って強く揺さぶられ『お前はどうやねん!』と問われた」

衝撃を受ける来場者の表情を思い出します。半生の編纂という、誰もが自分に置き換えられ、誰もがいつか向き合わなければならないテーマだからこそ、大きな反応を得られたのでしょう。

「最高だった。感激だった」

こうした萃点を共にした出展者から届くこのメッセージはずるい。出展者が会期中に会場で婚姻届を書く写真展があるでしょうか。みなの人生に刻む写真展を開催できたことを誇りに思います。

この一週間は、私の誉です。みんな、ありがとう。

 

 

 

 

次に、展示者として。

これまで、私は行動と思考によって臆病さを隠してきました。プライドにしがみつき、臆病者などと言いたくありませんでした。ただ、半生を編纂する上で、穂高への羨望・憧憬を語る上で、臆病な自分との対比を避けては通れません。自分が何者かを知るまでの道のりを親友以外にも開示してこその人生の座標だと考えて、作品を制作しました。

私の目指した人生観が山岳信仰であったこと。私の気づきが仏教の中身と同じだったこと。山容が私の諸概念を包含するので、山岳写真を仏具と捉え、掛軸『羨』を仕立てました。

どこから穂高を見るか。旅路の再訪や登山道の調査などロケハンに2年費やし、新穂高ロープウェイ山頂駅に決めてからも雪の有無や光線の選定に半年かけました。たくましさを表現するには、朝日による残雪陰影の濃淡が適すると考え、3月の撮影へ。

レンズ性能を最大限高める絞りに設定し、心に響く構図を選び、入念にピントを合わせ、深呼吸して一枚だけ撮る。半生の総括という写真の行方を自覚して撮る。あの人差し指への重圧は忘れないでしょう。

 

気迫は伝わるようで。

「写真業界にいた間、数百万円する山岳写真を何枚も見た。それでもこの作品には適わないと思った。この写真が盗作であることさえ願った。それほどまでにあなたに嫉妬した

ベテランの同僚からのこの言葉が印象的でした。思想、写真、言葉、展示。ひとつひとつ、妥協なく積み上げました。5年考え、2年撮り、半年書いた一軸。人生の座標に展示するからこそ輝く作品にできました。

これが、私の金字塔です。

 

 

人生の座標が近づくにつれて、これが自分の人生の転換点になる気がしていました。いざ会期を迎えれば、想像を超えた加速度を持って、この分岐を過ぎゆく瞬間を実感していました。ラリーから数歩離れる決断に呼応するように、従来の生活では行けなかった道へ進む確信がありました。そして、実際に進んだ岐路には希望で溢れていました。

 

例えばその一つに、私のポータルサイトができました。私が世界へ立ち向かえる基盤にと、作品に感激した後輩が制作してくれました。まさかこんな恐れ多いものができるなんて。

ここには、私が写真で追究してきた作品・TRIAL RALLYで追究してきた作品を集約したポートフォリオと、情報発信としてオフィシャルサイトの役割を担います。

皆様に私の足跡を知っていただく他にも、写真家・TRIAL RALLY/CYCLEとしてのご依頼など、新たな形で皆様と接点を持てたらと思っています。

これからも、よろしくお願いします。

 

 

❏ モータースポーツファンとして

今年は耐久レースを観戦しました。日本のスーパー耐久選手権 富士24時間と、世界耐久選手権 富士6時間。

SUPER GTと異なるのは、サーキットグルメが充実していること。スーパー耐久では、点心食べてビール飲んで、24時間ならではの観戦を楽しみました。世界耐久選手権では、ノンアルカクテルやフレンチを楽しみながらモーターサーカスを味わいました。マイペース観戦という点では、最も満足できます。

耐久レースでは、長時間走行によるデータ収集が期待できるため、技術開発を目的に参戦することが多いです。特に富士24時間では、カーボンニュートラル実現に向けた国産メーカーの奮闘を目の当たりにしました。技術で気概が見えるのは、耐久レースの醍醐味ですね。気候のいい時期に開催されるので調整難しいですが、機会あればまた観戦したいです。

 

 

❏ 音楽ファンとして

今年も多くの音楽に触れました。プロのライブでは、くるり主催フェス 京都音楽博覧会 と、デビュー前から応援しているアコースティックギタリスト まるやまたつや の単独ライブに参加しました。音楽に生で触れる大切さを日々感じます。

今年も多くの音楽を聴きました。その中で、特に紹介したい2作品をここに記します。

 


Parcels - Day/Night (2021)

オーストラリア出身ベルリン在住の5人組バンドParcels。

70年代のディスコを、傑出したビートとメロディによってロックに昇華するバンドとして成長してきました。フルアルバム1作目はセルフタイトルとし、自らが何者であるかを示す作品。Day/Nightは、2021年リリースの2作目。人間の二面性(外向性と内向性)をテーマにした2枚組で、シンフォニックロック主体が特徴です。

売れる曲・売れるアルバムを出すアーティストは数多くいますが、優れたアルバムという視点では絞られます。本作は、Parcelsがディスコロックを軸に音楽性を拡張するバンドであり、コンセプトを設定し表現するアーティストであることを示した、バンドの行方を表す優れたアルバムです。

アルバムを通しで聴いて、初めて曲が輝きます。デモ150曲を収録19曲に集約しただけあります。Day 1曲目 LIGHT では、夜中を彷彿するシンセサイザー、オーケストラとともに日の出への期待から。4分にも及ぶイントロの果てに来る歌詞からは、The Beatles - Here comes the sunの再解釈のような、未来への希望を思わせます。Night 最後の曲のアウトロが再び夜中で終わるのも秀逸。

総じて、人間の機微をよく表した作品です。

私と同い年のParcelsから受ける刺激は大きく、今年紹介したいアルバムに選びました。

来年3月にアジアツアーで来日するので、ライブが楽しみです。

 

 

GEZAN - あのち (2023)

日本のパンクバンドGEZANによる、「人間が持つ替えの効かない声」をテーマにした作品。人が住めぬほど言葉で殺し合い血で染めた地球から脱出した世界を舞台に、かつての人類を回想する設定です。SNSに煽動された承認欲求に対する痛烈な批判から始まります。

「私たちは言葉だった。私たちは冷たい時代だった。これからこの声たちが語るのは、いのちの一つ前のお話」

冒頭流れるおじいちゃんの語り部は、革命への号令にも聞こえます。現代の相互監視社会、国民総メディアの核であるSNSでは、針小棒大に物事を可視化します。足を引っ張り合っては後ろのままというのに。

「言葉は傷つけるために生まれたものではない。まだ人類はいのちを理解する前の『あのち』で生きている。いのちを知ろうよ」

この主旨は、現状を批判しながらも未来の希望を示す、まさしくパンクです。普通の曲ではないので癖は強いのですが、今年リリースされたアルバムの中で最も感動するほどメッセージに溢れていました。

このアルバムの主張は、届くべき層には届きませんが、真正面から殴るアルバムが現代にもあることを嬉しく思います。前作『狂』 が「お前はどうなんだ」と個人の認知に問いかけるのに対して、今作は「みんな次に行こうよ」と人類の方向を示すところがまたいいですね。

ポップはロックの上澄みで、パンクはロックのアク。

人類、社会、未来、多くを考えさせられるアルバムでした。これは評価されるべき作品です。気になる方は、ぜひ聴いてください。

 

 

❏ 最後に

今年は、温めていた考えを多く公開しました。30歳を自らの区切りとし、29歳で集大成を迎えられるよう、経験を重ねてきました。仮説や意図を持って走り続け、結果や考察に納得するか立ち止まり、言葉にできたと思います。言うか迷うことも多々ありましたが、記憶を記録するためにも言葉にしました。

 

「砂を追う」「人生の座標」の執筆に時間をかけ、自分の歩みを記録できたことは、私にとって特に大きな成果でした。

「あの展示を見て『彼は余白を作ったんだ』と感じた」

会社の先輩の表現が、私の20代の置物を集約したように思います。

 

今年は、読み物として編纂をお届けしました。

来年は、御嶽へ導く贈り物をお届けします。お楽しみに。

 

本年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。

立ち止まるために、新たに走ります。

 

では。