私たちは、惜別をギャラリーに置いてきた。
あれから、就職や結婚の社会的制約を得て、環境や思想の変化を経た。
いま、私たちは人生のどこにいるのか。
集合しよう。かつての同志よ。
謳歌しよう。あの頃の自由を。
表現しよう。いまの金字塔を。
これは、半生の編纂である。
目次
1 起点
1-1 潜
小学3年生、私は臆病だった。
学級に霞んでは、鉄道に逃避した。家へ帰ってはプラレール、電車でGO。
「存在感を増したい」
十分な友達付き合いをしたわけでもないのに、進級の抱負にはこう書く始末。私は、なにも成し遂げられない少年だった。
1-2 遷
「これで好きなだけ電車を撮ってこい」
小学4年生、私は父からカメラを与えられた。
視界が彩られる瞬間だった。
中学1年生、思春期を迎えた。
臆病な自分から脱却した、ありたい姿を熟慮した。
「25歳までに、父親に足る人格を持つ大人になろう」
父のことも十分に理解できていない上に、父親に足る人格の定義が曖昧である。そこで、生き方の方針を決めた。
「過去の自分も未来の自分も尊重する。過去の決断を否定せず、未来の自分も納得する決断をする。現在を真剣に生きる」
真剣に生きれば、父親に足る人格を理解する日が来ると確信していた。だが、まだなにも成し遂げてはいない。
中学2年生、撮り鉄に没頭した。
毎週末、自転車で走り回っては撮った。撮り鉄仲間と交流を重ねては撮った。編成写真にかかる撮影技術を一通り習得して以降、情景写真に関心が移った。
田園をのぞみが飛んでいく。1300人が300km/hで駆けていく。風景を縫う鉄道の美しさと、人流を支える鉄道のたくましさを目の当たりにした。
次第に、私は彩られた視界への美しい記録を始めた。
2 分岐
2-1 閃
大学1回生、写真研究会に加入した。
競泳に燃え尽きた私は、新たな情熱を探した。トライアスロンや自転車競技を模索した中で、それまで趣味の域を超えなかった写真への活力を認めた。身体を使う時間から、頭脳を使う時間に充てよう。学生時代は、写真家として振舞おうと志した。
「鑑賞者に何を伝え、何を考えてもらいたいか」
展示と鑑賞を重ね、自問自答を繰り返した。有意義な鑑賞になる展示への姿勢を確立し、作品に意思と意図を込め始めた。作品を自己表現の媒体と捉えるようになった。カメラは、記憶を記録する存在から、思想を代弁する存在に変化したことを自覚した。
定期展では推敲した組作品を送り出し、テーマ展では鮮烈な単作品を送り込んだ。ここに代表作を記す。
学祭展「ひと展」(2014) - 宵
人に着目したテーマ展。集団の動きを写実的に捉え、風情の共有を図った。伏見稲荷大社 宵宮祭 千本鳥居を行く集団を、中時間露光で撮影し緩行を表現した。没入感を評価いただき、投票1位を獲得した。
冬展(2014) - CANVAS CUBE
自分の思想と他者からの印象の違いに葛藤を抱き、自分を立方体の作品に代替した。脚色と偏見を反射と視線に例え、アクリルに接着した写真で透明な壁を表現した。
心を描いた一面を手に取り抱いた印象は、私の思惑と一致しただろうか。そう思えない上にそうなるわけもないが、当時の私には声を挙げる必要があった。
苦悩の分だけ混沌した、難解な作品だった。
合同写真展「華」(2015) - 洛
有志団体M Project、北海道大学、立命館大学、同志社大学で開催した合同写真展「華」
作者の住む町の良さを華と例え、華を持ち寄る写真展。華を持つ町への旅を斡旋するコンセプトのプロジェクトだ。京都1回・札幌2回の開催のうち、初回の京都開催の運営を担当した。複数の団体の足並みを揃える苦労を味わった。みなの尽力のおかげで、600名の来場者数と圧倒的な成功を成し遂げた。
記憶に残る夏。
冬展(2015) - 人と
人は、行く場所によって振舞いが異なる。人の集合もそうだろうか。人と駅、人と光、人と街。複数の切り口から考察し、製本して鑑賞にリズムを加えた。平面的な構図を繰返し、集団心理を通して写実に奥行きを与えた現役引退作品。
卒業写真展(2017) - めぐる
学部卒業の集大成。私にとって、写真とはなにか見つめ直した。
父も若くは写真を嗜んだ。そして、写真は私に彩をもたらした。カメラが繋いだバトンを次の世代に繋ぎたい。父への敬意と謝意を示し、未来への意思表示した作品。
このバトンを輪廻に例え、現世の私を構成する写真と音楽を融合する試みをした組作品「めぐる」。作風を象徴する写真に人生観に影響を与えた曲名を添えた「まわる」と、父から継いだ襷を後世に渡す意思表示の「つぐ」の2部構成とした。
実際に曲を聴きながら解釈を深めた鑑賞者が膝を打った。家族が心を打った。友人が人生を考えた。
私の写真は、人を動かした。一閃の輝きを人の心に刻んだ。
写真家としてやり切れたと言ってもいいだろう。写真家を辞めると宣言して、ギャラリーを去った。
3 経由
3-1 全
修士1回生、生涯に刻む旅を重ね、20代をどう終えるか考えた。
30歳で精神的な死を迎えよう。利己、そして利他。20代は自我と利己を追求し、30代からは家族や社会を牽引できる人間を目指そう。
20代は、自我と利己を追究した冒険をすべく、ラリーに傾倒した。ラリーを、青春を懸ける美しい世界に感じたからだ。
私は、生き急いだ。
社会人1年目、30歳で精神的な死を迎えるにあたり、半生を編纂する個展「全」を着想した。
私は、人生を通してなにを目指したか。私は、青春を通してなにを学んだか。人生を総括する作品を贈ろう。
私の歩みを表現しきる「全」をテーマに、従前の重要な瞬間や思想を題に充て、熟考した。展示方法を検討したが、どうやら一部の作品制作が困難らしい。アクリルに接着した円筒系のパノラマ写真を吊るし、没入してもらう作品がそれだ。少しでも妥協するぐらいなら、一切やらないほうがいい。私は、志半ばで足跡を止めた。
社会人4年目、後輩にラリーを通した青春の学びと諦めた個展計画を共有した。奇しくも、同期が写真展の開催を模索しているよう。訊けば、就職や結婚等の社会的制約と引換えに選ばざるを得ない保守的な人生に葛藤を覚え、かつて謳歌した自由の追体験を求めていた。自由を再び手にして、現在地を示したがっていた。
自由の追体験を動機づけにした人生の編纂。
あのころ、みな渾身の作品を残した。
あれから、社会的制約をまといながら、環境や思想の変化を経た。
いま、作品を座標とし、その軌跡を追う。
「人生の座標」
みなの人生の変遷を、みなの価値観で表現する。互いに人生の軌跡を共有した我々が、一点の座標に集う。友人、家族、さらに軌跡を共有した周縁の人らも、この座標を目がけて来場する。
開けた大地の中に、それぞれの人生の軌跡がある。その軌跡の行く先に燦然と輝く座標。
これだ。思いを形にできるかつての同志に声をかけてみた。
「いまの金字塔を見せてほしい」
4 萃点
生涯の旅のひとつ、弾丸日本縦断紀行 宗谷縦走より、5日目 北海道 黒松内町の国道5号をポスターに選んだ。タイトルは、敬愛するギタリスト兼デザイナー まるやまたつやさんと相談の上、私の手書きにした。座標に息吹を与えた気がした。
まるやまたつやさん、DM製作ありがとうございました。
いま、駆け抜ける自らの道上で立ち止まる。
みなの軌跡が、萃点に着く。
私の、鮮烈な一枚を贈ろう。
4-1 禅
20代最大の学びは、アイデンティティについて。
就活を契機に、私は自分らしさに疑問を抱いた。
アイデンティティを「自分を置換する言葉」と仮定し、自分を表現する言葉を品詞ごとに考えた。名詞や形容詞を考える中で、自分は一意に定義できる存在ではなく、相対的な存在であることに気づいた。
「自分は偶像である」
自分らしさを探していた身にとって、偶像とはショックそのもの。認めたくなかったが、反論できなかった。
次に、アイデンティティを「自分らしさを表す言葉」と仮定し、自分の言動や姿勢を表現する言葉を考えた。時間軸を扱うには動詞が適しているだろう。動詞句を考えた。
私は、洞察と思考を重ねて概念を見出し、突き進んできた。ずっと、その繰り返しだったと思う。
「私は立ち止まるために走る人」
納得のいく言葉を得た。座右の銘とも異なる、私らしさを表す言葉。これを見失わなければ、私は私らしくあれる。
時は経ち、空海を取り上げたラジオを聴く中で、「自分は偶像である」が唯識の根幹と偶然知り驚愕した。25歳、自力で大乗仏教の教えに至るなど、誰が想像したことか。
このアイデンティティの学びを軸に、「禅」をテーマにした表現を目指した。
4-2 羨
私が20代で目指した人間像は、「山のようである」
山は、佇み、雨を降らせ、川を生む。それでありながら、民は山容に畏れを抱き、あやかり、親しんできた。
山は、恵をもたらし、標を与える存在と言えよう。
山のようなおおらかさを、山のようなたくましさを、体得しようと追求した。数ある名山の中でも、穂高が輝く。私にとって、穂高は威厳と寛容の象徴だった。この羨望を生き方に重ね、「禅」を土台にした穂高への敬意を「羨」として表現した。
北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、西穂高岳と並ぶ穂高連峰。
穂高への敬意を表現したく、良い眺望かつ仰ぐ構図の場所の検討を重ねた。安曇野、青木峠、焼岳、霞沢岳などロケハンを繰返した。前穂のおおらかさもいい。西穂のたくましさもいい。
「立ち止まるために走る人」が追求した「山のようである」姿は、たくましさを指すだろう。ならば、西穂がいい。幸いなことに、新穂高ロープウェイからの西穂の眺めが絶好だ。雪の有無、光線の角度を吟味するために再訪を続けた。作品には、3月の朝日を浴びる残雪の西穂を採用した。
私の穂高への憧憬は、一種の山岳信仰と思う。
山を神と畏れ、山を仏の宿る場所と云う。山岳信仰を写真で表現するには、仏具として写真を載せる掛軸が適してるだろう。禅宗の書籍を通して、掛軸の在り方と作品の方向性の合致を学び、軸装に踏み切った。印刷屋、額装屋、仏具屋など、製作の可能性を模索する中で、渋谷の掛け軸屋に出会った。和紙に写真印刷して軸装できるそう。
相談を繰返し、サンプルを刷り、軸装のシミュレーターを通してイメージを固める。本番用の現像を仕上げ、軸装の仕様決めに上京。布や軸先など、標本を見ながら仕様を決め入稿。納品まで1カ月弱で完成した。
佐河さん、素晴らしい作品をありがとうございました。
4-3 旋
学生時代、様々な団体と写真展を開催した。その中で、これまで共に展示し、作品を心得、情熱を持つ同志に賛同いただいた。
立命館大学 写真研究会、立命館大学 写真部、北海道大学 写真部出身の同期・後輩 8名出展、2名支援の10名に参画いただいた。北は札幌、南は都城。みんな、はるばるありがとう。
この夏、散った軌跡が萃点に至った。
2023/8/28 搬入
みなそれぞれ、人生の軌跡と現在の座標がわかる、渾身の金字塔を持ち寄った。
感無量。記憶に刻む一週間へ。
2023/8/29 1日目
両親と幼馴染から花をいただいた。自分の建てた金字塔は、輝くものであった。
「作品製作を依頼したい。君の作品を飾りたい」
この座標から、想像もしないほどの大きな加速度を感じる。
2023/8/30 2日目
「あなたの言葉が好きなのでまた来た」
「この一軸に懸ける強い意思に震えた」
「何年も心配かけてごめん。君の顔を見に来た」
嗚呼、輝け、萃点。
2023/8/31 3日目
「音楽や絵画とは異なり、写真には撮ったか撮らなかったかがアウトプットを左右する、唯一無二の公平性を持った表現媒体だと思う。そこに魅力と可能性を感じて撮り続けてきた」
記憶の記録のような、写真を機能で捉えるのではなく、構造で捉える議論が印象的だった。
2023/9/1 4日目
「同調社会に辟易した中で、君の言葉と作品に希望を持った」
「一つの憧憬を起点に論理で芸術に到達したこの金字塔に感銘を受けた」
これが、私の金字塔。
「日本縦断以上に美しい旅を、この先できると思う?ぼくはできないと思う」
「そう思う。日本という帰属のない旅に思い入れを見出せない気がする」
5日で日本縦断した私と、7日で日本縦断した彼。宗谷岬の真の美しさを知る二人による旅の議論は、この座標に刻みたい。
2023/9/2 5日目
出展者から、座標シャツをいただいた。
この期間、この座標に、私たちは人生の座標を打った。その座標を目標に、全国から友人が集い再会する。広げた会話が、座標を磨く。絶対の輝きを持って、私たちは新たな軌跡へと歩み出す。その美しさに感涙した。
ありがとう。
出展者が、会場で婚姻届を書いた。
私たちの打った人生の座標が、彼らの輝く座標になったことを、誇りに思う。宗谷を超えた、美しい標を目指して、新たな軌跡を歩んでほしい。
おめでとう。
2023/9/3 6日目
日本トップクラスのプロカメラマンから、作品を称賛いただいた。
泣いたり、読み返したり。これまで多くの反応があった。自信が確信に変わった。
来場209名。北から南まで、全国からご来場いただいた。
私たちの打った座標には、物語があり、熱量があり、意志があった。振り返っても永遠に輝く金字塔があった。出展者のみんな、ありがとう。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
この一週間は、私の誉。
4-4 漸
何者かになろうとして、何者にもなれない苦悩に苛まれた。自分らしさを知るまで、遠回りを繰り返した。臆病さを携えながら、これからも立ち止まるために走り続けると思う。
憧れの穂高を前にして、私は胸を張って立てたか。立てた。私は、大学、旅、ラリー、そしてこの会期を通して成し遂げたこと、学んだことに強い自負がある。
一方で、穂高のようになれたか。恵と標を与えられているか。わからない。だが、正しいと思うことをして、真剣に生きてきた。未来の自分も納得してくれることを信じて、これからも走り続けたい。
少年、少しは成し遂げられる大人になってるぞ。