こんばんは。けーごです。
立命館大学大学院より工学修士号を取得しました。晴れて大学院を修了し、学生を終えました。高額な授業料にも関わらず通わせてくれた両親に深謝しています。大学受験に失敗しましたが、自分なりに多くのことに挑戦した6年間でした。お気に入りの写真を振り返ります。
立命館大学写真研究会に所属しました。中高を捧げた競泳をやめ、大学では写真に真剣に取り組もうと入会しました。これは、新人展のデビュー作『ぼくの眼にその夢を』です。これから新天地の関西でがんばるだ、と意気込んだ作品でした。後にも先にも、文字を主体にした作品はこれだけでした。インプットしようと必死だった当時を思い出しました。
学祭展に3年間すべて展示しました。学祭展では、来場者に投票をしてもらう企画がありました。3年間すべて最も多く投票していただきました。学祭展は大きな自信を与え、モチベーションを保てました。
写真研究会では、合同写真展「華」を開催しました。北海道大学写真部はじめ、北海道・京都の4団体で開催した写真展です。自分の街をPRすることで旅の斡旋を目的にした写真展でした。京都は観光客に華を添えてもらっているんじゃないかと考え、地付き目線と観光客目線の双方を展示しました。後述のロケット製作と重なり多忙を極めましたが盛況に終わりました。写真研究会のみならず、大学を通して最も印象的な出来事でした。北大のみんな、ありがとう。
写真研究会の後半では、組作品(複数の写真で構成される作品)に挑戦しました。自分の思想を、どういう写真と言葉と展示で表現していこうか勉強になりました。根源を問うようになったのは組作品を通して培ったからでしょう。いい取り組みでした。
写真研究会で代表を務めた一方、RiSA(Ritsumeikan Space Association,ロケットを製作する団体)にも所属しました。メンバーの買ったルマンドを食べたら入らされました。CAD利用技術者検定1級を取得したこともあり、ものづくりの勉強にと始めてみると難しい。いつ加工しよう、いつレポート書こう、いつ写真展を準備しよう、朝に仮眠するために帰宅する日々を過ごしました。
写真は、打ち上げたロケットです。ぼくらは、夏を打ち上げました。
正課・課外と離れた私生活を振り返ると、多くの旅をしました。
1回生の夏は免許取得のため長く帰省し、特に思い出がありませんでした。これでは寂しいと、ふと大阪環状線を徒歩で一周することを思いつきました。8時間かけて歩き、足が破断するような疲れを覚えました。翌年、トレッキングシューズで挑めば7時間弱で達成したので、そのさらに翌年は山手線を徒歩で一周しました。さすがに12時間かかりました。しかし、大阪や東京がどういう街なのかを知れて、とても有意義でした。
鉄道旅もしました。門司港で人力車に誘われたら電車に乗り遅れたり、友人へ会いに上京したり、渡道したり。青春18きっぷはもちろん、一筆書きの複雑な経路の切符で旅したり。北大にお世話になったこともあり、次第に北海道への思いが強くなるきっかけでした。
自転車旅もしました。12時間で走破した琵琶湖一周、両足つりながらのお伊勢参り、日帰り輪行の角島、同期6人で日帰り積車のしまなみ海道、学生最後の夏らしく大きなサイクリングをと意気込んでスマホ・財布・鍵・カメラをすべて失った24 Century Ride、どれも思い出深いです。次はどんな自転車旅をしようか。
大学を通して最も予想外だったことは、バイクに乗り始めることでした。「自分の足で漕ぐからこそ旅に達成感を覚えるんだ、バイクなんか甘ちゃんだい!」とバイクを毛嫌いしていたぼくは、いざ原付で三方五湖へ行くと、楽しい。なんやこれ、ガソリン燃やしてタイヤ回すのめっちゃ楽しいやんけ。ずーっと下り坂の自転車旅。あれよあれよと免許を取り、酷道へ行き、千里浜に泣き、果てを目指すようになりました。
バイクは自分の時間を支える大きな存在でした。研究室に配属されて以来、バイクのない生活は考えられません。かけがえのない友です。
立命館は、未来を拓く場所を意味します。ぼくは自分の未来を拓けたでしょうか。自分なりにがんばりました。拓いた空を広げられるよう、邁進します。
では。