私は、闘う旅をしたい。
命を燃やす旅をしたい。
苦しさを喜びに変えて、
一つ涙する旅をしたい。
14の夏。御嵩の小峠から望んだ権現山の姿は、登坂の苦しみを喜びに変えた。登らないと見れない景色、味わえない感情がある。「ああ、ここまで登ったんだ」と噛み締める時間は、なんと尊いものだろう。生の実感を強く覚えた。
22の夏。SSTR 2017。XLR250Rを駆って初の長旅。距離への畏れ、自らへの励まし。葛藤の末に眼下に迎えた夕焼けの日本海。エンジンの咆哮に呼応する一筋の涙。日の出を太平洋で見て、日没を日本海で見る。葛藤と克服で旅を紡ぎ、物語を見出す。自然を貫くこの走りは、人生を変えた。
26の夏。人生100年、四半を過ぎた今夏。自然を貫こう。生を感じよう。太平洋から日本海へ。本州横断紀行2020も、自転車で走ろう。
過去2年は、東海地方出発の土地勘のある縦断ルートだった。体力こそ必要だが、どこを走ればいいかろくに下調べしなくても走れてしまう。もっと冒険したい。知らない道を走りたい。
東海地方を避けるべく、今年は横に走ろう。千里浜を目指そう。スタートは、日の出の綺麗な浜がいい。日立だ。安房峠で日本アルプスを越える500kmの自転車旅。旅はALPS500と名付けよう。
SSTRに始まった太平洋から日本海を目指す旅、自転車版SSTRは3回目になります。今回は、水戸から金沢。細かくいえば、茨城県ひたちなか市の阿字ヶ浦から石川県羽咋市の千里浜まで。関東は全く走ったことがないので、街も距離感もわかりません。
大まかにルートを決めてみると、4泊5日が収まりよさそう。自転車のパニアにテントが収まらないので、野宿を繰り返します。なんとかなるやろ。知らんけど。
- 0日目 8月8日 晴(最高29℃)
- 1日目 8月9日 晴(最高33℃)
- 2日目 8月10日 曇(最高31℃)
- 3日目 8月11日 晴(最高35℃)
- 4日目 8月12日 曇(最高34℃)
- 5日目 8月13日 雨(最高29℃)
- 6日目 8月14日 晴(最高33℃)
0日目 8月8日 晴(最高29℃)
愛知県犬山市→茨城県ひたちなか市 4.33km
この日は前移動。重たい荷物に苦心しました。
09:00 名古屋駅
今日は太平洋側の阿字ヶ浦まで輪行。新幹線ホームに上がるとN700Sが!運用が発表されていないので、見れるかは運次第。幸先いいスタートです。
新幹線では1両に6名しか乗車していませんでした。新幹線は座席の上に空調給気口が、座席の下に排気口があり、風量も多いので安心して乗れます。
11:00 品川駅
品川で特急ときわ号に乗り換えて水戸へ。ときわなら寝過ごしても勝田終点なので安心です。さすが現代の特急型車両だけあり、各座席に電源プラグがありました。これで電源容量持つんだ。
石岡駅が近くなった頃、車窓から筑波山が見えました。関東平野唯一の百名山です。双耳峰(左右に峰が別れている山)ですが、石岡からは重なって見えます。その鋭さから、そびえ立つ頭というアイヌ語のツクバに由来するという説があります。
筑波山は標高877mで、日本百名山の選定基準の一つ「標高1000m以上」に足りませんが、歴史の古さから選定されています。常陸風土記によれば、神祖尊(みおやのみこと)が富士山に宿を断られれば雪の降る山にし、筑波山に宿を迎えられれば人の集まる山にしたとあります。調べてみても、筑波山は賑やかな山だったことが伺えます。関東の貴重な百名山を見れて満足です。
12:30 水戸駅
水戸駅に到着。せっかく初めての茨城県なので、偕楽園を観光します。下調べでは、駅前のラーメン屋さんで大きな荷物を預かれるはずでしたが、もうやめていました。困ったな。
水戸駅北口駐輪場に尋ねてみると、輪行状態でも自転車料金(150円)で利用可とのこと。自転車とカバンで肩が痛かったので、非常に助かりました。ありがとうございます!カメラだけ持ち出して、ゆらりバスに揺られ偕楽園へ向かいました。
14:30 偕楽園
凄まじい本数の梅です。3000本あるとか。偕楽園が高台にあるので、近隣の丸山などの見晴らしも素晴らしく、季節に来たら眼下に梅が広がってさぞ息を呑む景色だろうと察しました。春、偕楽園臨時駅の営業期間中にひたちで来たいですね。
偕楽園には梅の他に杉や竹もあり、充実した散歩になりました。偕楽園の外側には普通に住宅街が広がっています。兼六園や後楽園とは違う溶け込んだ姿は、まさに偕楽園(皆で楽しむ)の名の通りでした。
17:00 阿字ヶ浦駅
水戸駅から乗り継ぎ阿字ヶ浦駅に到着。お手本のような終着駅。駅に降り立つと磯の匂いがします。自転車を組み立て、ひとっ風呂浴びましょう。
18:00 阿字ヶ浦温泉のぞみ
それはそれはいいお湯でした~しょっぱい温泉でした。露天風呂から臨む太平洋、明日からの旅に向けほのかな緊張を覚えました。食堂ではお蕎麦をいただきました。注文後に長野で食べそうな予感がしましたが、気にしません。
22:00 阿字ヶ浦海水浴場
今晩は適当なベンチで仮眠。浜は3時まで花火で盛り上がり。若者の体力に驚かされるばかりでした。睡眠時間は合計3時間、過酷な旅になりそうです。
1日目 8月9日 晴(最高33℃)
茨城県ひたちなか市→群馬県高崎市 172.15km
1日目は、関東平野を西進します。ひたすら走りました。
05:21 阿字ヶ浦
日の出は拝めませんでした。仕方ない。これも旅だ。
浜では中東の人が早朝から陽気な音楽で踊っていました。これがパーティー。体力オバケかよ。これから500kmの自転車旅をする人が何を言う?はっは、いってきます。
09:45 ローソン ユーシティ桜川店
国道50号で西進します。「前橋 145km」が心を砕きかけます。国道50号は信号のタイミングもよく快走です。曇りから晴れてきたので、ソーラーパネルを設置しました。
今回、道中はすべて野宿ですので、電源を確保できません。スマホ、WiFi、前照灯、尾灯、GoProを20000mAhのモバイルバッテリーでは賄えません。幸いにも晴れ予報が続いていたので、ソーラーパネルをモバイルバッテリーに給電し、夜にモバイルバッテリーから充電する作戦にしました。ぶっつけ本番ですが、どうなるでしょうか。
11:15 道の駅グランテラス筑西
ようやく最初の道の駅。竣工したてか、とても賑わっていました。梨を家族に贈り、栃木名物のレモン牛乳を飲んで休憩しますが、地元アイドルのMCのオチがイマイチだったのでそそくさと出発しました。
筑西から筑波山が見えるはずが、全く見えません。PM2.5で視程が悪いようです。昨日のうちに筑波山を撮っておいてよかったです。日差しと気温は厳しいばかり。PM2.5のせいか、少し目がかゆくなってきました。それでも進むしかありません。
13:45 道の駅思川
茨城県結城市のコンビニでざるそば。暑くて温かいものを食べられません。イートインのあるコンビニでも、コロナ対策で使用中止しているコンビニもちらほらあります。なんとか日影で食べ、思川まで来ました。
制汗シートと冷房による身体側の体温調整の限界、PM2.5による鼻炎で身体のダメージが増えてきました。目は洗えばなんとかなりますが、鼻はどうにもなりません。薬を持ってきてよかった。
当初、1日目は富岡製糸場を通り過ぎて磯部で野宿の予定でした。しかし、まだ栃木県小山市であること考えれば、安中までは難しいでしょう。万全の体調ではないことを鑑み、高崎で打ち切ることにしました。野宿の当てはありませんが、探すしかありません。
15:00 道の駅みかも
薬が効き始め、幾分鼻はマシになりました。脚がまだ悲鳴をあげないうちに、群馬県を目指します。国道50号は、一級国道だけあり立体交差が多いです。小さな坂も多いですが信号の少なさに助けられ20km/hで走れているのが救いです。
17:45 セブンイレブン 太田市新田中江田町店
道中の大半を共にした国道50号を離れ、国道354号へ。路面はいいのに信号のタイミングが全く合いません。500mごとに赤信号。一気にしんどくなりました。高崎までのあと30kmが、唐突に遠くなりました。
イートインを期待して入ったコンビニもコロナ対策でイートインを使えません。ひどく熱いアスファルトの上で食べなければなりません。カロリーもしっかり摂らなきゃいけないのでペペロンチーノを買いましたが、熱い。ミスったな。
20:45 高崎温泉さくらの湯
気が短くなるほど進みの悪い国道354号で、ようやく高崎。ようやく温泉。日焼けが染みてとても痛いです。お風呂の雰囲気は道後温泉本館のようです。いいお湯でした。
さて、宿です。高崎には道の駅がありません。高崎駅周辺もとても野宿できません。なんとか公園を見つけて仮眠を摂りました。しかし、深夜に公園に立ち入る人の足音で起きて以来、心配で2時間しか寝れず、夜を明かしてしまいました。3時間睡眠からの172km、そして2時間睡眠からの峠越え。2日目は厳しくなりそうです。
2日目 8月10日 曇(最高31℃)
群馬県高崎市→長野県上田市 95.83km
2日目は、碓氷峠を越えて上田を目指します。ついに荷物の重さが牙を剥きます。
04:30 群馬県高崎市
厳しい。セミが一斉に鳴き始めました。そそくさと撤収し、コンビニで朝食を摂ります。レッドブルの助けを借りなければ今日は難しいでしょう。早朝に出発できているので焦らず走ります。
06:45 群馬県安中市
榛名山が見えました。頭文字Dの聖地ですね。
08:15 セブンイレブン 安中松井田バイパス店
安中から松井田まで妙義山を眺めながら登ります。奇妙な形をしています。妙義山は複数の山からなり、左側の台形の山を金洞山、右側の扇形の山を白雲山といいます。カルデラの侵食により複雑な形状になったとされています。一度見たら忘れないですよね。
09:00 おぎのや横川店
横川へ来ました。碓氷峠の麓です。碓氷峠といえば峠の釜めし。峠の釜めしは駅弁の代名詞とも言っていいでしょう。旅の大きな楽しみの一つでした。
ほっかほかだ!できたて駅弁、沁みるおいしさ。かしわもごぼうもたけのこも何食べてもおいしい。一口ずつ違う味を堪能できます。釜を持ち帰りたかったのですが、どえらい荷物になるので泣く泣く返却。また鉄道で横川駅に降り立って食べましょう。ちなみにこの釜、益子焼でお米を1合炊けます。キャンプにピッタリですね。
向かいの看板にシルエイティが!真子ちゃん!しとやかで速い。この車、鎖で固定されていますが常設展示なのでしょうか?嬉しい驚きでした。
10:00 碓氷峠鉄道文化むら
ここまで来たならば、峠のシェルパにご挨拶しなければなりません。
お色直しを終えたばかりの189系とEF63です。碓氷峠を支えた重要な鉄道車両です。
碓氷峠は、古来より交通の難所でした。道路の碓氷峠は3本(中山道 旧碓氷峠、旧国道18号 碓氷峠、現国道18号 碓氷バイパス)あります。1878年、明治天皇御巡幸では馬すら通れず徒歩で旧碓氷峠を越えたとされています。その4年後、馬車の通行可能な碓氷新道(旧18号)が開通しています。1871年には富岡製糸場が操業開始しており、この碓氷峠の交通量を確保することは課題だったわけです。1888年には上野~横川、軽井沢~直江津で鉄道が開通しても、馬車鉄道でしか横川~軽井沢を結ぶことはできませんでした。
鉄道を敷設しようにも、高低差が大きすぎます。勾配は66.7‰あり、摩擦力に頼る粘着式鉄道では車輪の空転で登坂できません。そこで、レールの間にラックを設け、ピニオンの駆動力で登坂するラック式鉄道が検討されました。1本のラックでは歯の負荷が大きいため、120度ずつ位相をずらした3本のラックを敷設するアプト式鉄道が採用されました。1892年に開通し、1912年に電化されています。横川~軽井沢の所要時間は40分でした。
戦後、粘着式鉄道に回帰します。新線を開通させ、補助機関車を連結させて峠を往来する方式になりました。横川側(坂の下側)に補機を連結し、上りでは押し上げ、下りでは発電ブレーキによって下り続ける形態を採用しました。
しかし、そもそも粘着式鉄道では空転が問題でした。特に、下り坂で速度超過(旅客38km/h、貨物22km/h)をすると、機関車の制動力だけで停車できません。そこで、正確な速度を知るために、EF63の中間台車(駆動しない台車)には速度計測を担わせています。また、機関車が空転した場合に制動力を確保するために、レールに直接電磁石を吸着させて制動力を得るブレーキが搭載されました。碓氷峠では、制動に全力を注いでいたことがよくわかります。それだけ碓氷峠が難所だったことが伺えます。
現在は、北陸新幹線の開業に伴い廃線になっています。189系あさま号も今では長野行の北陸新幹線に引き継いでしまいましたね。
11:00 碓氷第三橋梁
アプト式の頃に使われたレンガ造りのめがね橋です。国の重要文化財に指定されています。2万個のレンガが使用されており、大迫力です。
碓氷峠、脚に来ます。この荷物では、インナーローの組み合わせでなければ登れません。車のいない間は少しでも曲がりの外側を走らなければ脚を労れません。暑さもあってみるみる水が減ります。めがね橋あたりで水を切らしたので、めがね橋駐車場で自販機に寄り道。え~っと小銭は~デデン!40円!ッア~、お札は~デデン!4万円!ッア~水なしで碓氷峠越えか~
12:00 碓氷峠
全長14.64km、平均勾配3.9%、最高地点960m、獲得標高差736m、コーナー数184ヶ所の碓氷峠、1時間半かけて登りました。碓氷峠は片峠なので、登っておしまい。下り坂は20秒でおしまい。
ささ、軽井沢で水分補給。駅前のコンビニっと...?すぐ見つからないぞ?自販機自販機っと...?軽井沢には自販機がないのか?道行く人みんな綺麗でオシャレだ。道行く車も高級車ばかり。マセラティ、メルセデスGクラス、あ~なるほどね、ここ、標高高いだけで、表参道だ。食事も摂りたいけど、道沿いのお店の前ではウエイターさんが立ってらっしゃる。あ~なるほどね、ここ、お呼ばれでないやつだ。よし、ほなぼくもおしゃれなもの食べたろうやないの!
生き返る~
暑い夏にはかき氷だね。生き返りました、どうもありがとう。綺麗なお姉さんたちが可愛らしいクレープを買われている横で、シャカシャカシャカ ザッザッザッ。色気がなくてごめんなさいね、こちとら削った命を取り戻すので必死なんや。
少し走ったところにコンビニがあったので昼食を摂り、軒先で仮眠してから上田を目指しました。
道中、花壇を見つけました。ラベンダーも咲いてる!休憩がてら愛でていると、奥にも霧ヶ峰~美ヶ原の稜線が見えます。今日もPM2.5で視程は悪かったものの、なんとか見えました。浅間は残念ながら雲に隠れていました。
15:30 道の駅雷電くるみの里
小腹が空いたので土地のものを食べましょう。プリンは最後のほんのり苦味のあるカラメルが最高でした。どれも非常においしくて、あまりこの道の駅を離れたくありませんでした笑 日没には温泉に入りたいので、そうは言っていられません。
17:15 しなの木温泉 ひな詩の湯
いいお湯でした~。マッサージチェアに無重力モードなるものがあったので試してみました。ゆりかご体勢でマッサージチェアが動きます。おお~気持ちいい。でも重力は感じるね。
19:00 おおぼし上田本店
温泉すぐ近くのラーメン屋さんに入ってみました。塩ラーメンをメニューに載せるところは味に自信があるはず。では塩をいただこう...うっっっま!!!華やかな塩だ、シンプルでも奥行きのある味。今まで食べてきた塩ラーメンで最もおいしかったです。これ愛知県にもほしいな~。丁寧な接客で、心身温まりました。ごちそうさまでした!
20:30 道の駅 上田
上田の道の駅で今晩は過ごします。車中泊を繰り返している方に出会い「物味湯産手形」という長野周遊に使えるクーポン冊子を教えていただきました。手形に協賛の41ヶ所の温泉のうち、12ヶ所入れて1500円!他にも県内の観光地で割引ができるそうです。使ってみようかな!
物味湯産手形(クーポン)公式HP - 信州をもっと楽しむ観光クーポン冊子
3日目 8月11日 晴(最高35℃)
長野県上田市→長野県安曇野市 66.34km
今日は青木峠を越え、明日のアルプス越えに備えます。
05:30 道の駅 上田
風通しも良く5時間快眠でした。天気の良さそうな一日です。コーヒーなど飲みながら心地よい朝を過ごしました。
視程も良く、千曲川の谷間から長野方面の山が見えます。高妻山かな?今日はアルプスを拝見するので、楽しみです。
四阿山(あずまやさん)が見えます。日本武尊が東征の帰りに鳥居峠にて弟橘姫を偲び「吾妻(あづま)はや」と言い残したことに由来します。群馬側には吾妻郡(あがつま)や嬬恋(つまごい)という綺麗な名前の地名があるのもこれに由来します。素敵なエピソードですよね。
09:30 長野県上田市
上田電鉄を見かけました。小学校の図書館になぜかここの本があり、最初に知った長野の私鉄でした。松本電鉄と同じく東急譲渡のカエルでしたが、今では1000系ですね。
道の駅あおきで休憩してから、青木峠を目指しました。
11:45 青木峠
青木峠、6%ぐらいあるでしょうか。昨日の碓氷峠よりも勾配が厳しい。道の駅で満タンにしたボトルの水を切らし、自販機もないまま辛くも登りました。上り坂のコーナーでは、できる限り外側を走って勾配を下げます。車の往来がない道だからこそできることです。青木峠の標高は1040m。昨日の碓氷峠の疲れも残っており、まともに太ももで踏んだら簡単に傷めそうです。それでも足をつかずに12km/h巡航で碓氷峠も青木峠も登りきれて達成感に溢れていました。明日の安房峠はそういうわけにはいかんやろうなあ。
いよいよアルプスとご対面。槍ヶ岳だ。穂高は雲に隠れていますね。いやはや、アルプスは今日も素晴らしい。
ついに自販機を見つけました。お水お水。っあ~、おいしい!ボトルに給水して、ついでにコーラをいただきます。うまい!!人生で最もおいしいコーラだ!
息を吹き返したところで、三好礼子さんのペレファカフェが近いので行ってみよう。
月曜祝日の振替定休日!しかも県外お断り!仕方ないね~。近くのコンビニで昼食を摂り、温泉へ向かいました。
15:15 湯多里 山の神
熱めでヌルヌル。日焼けの痛さと脚の疲れがひどくなってきました。それでも疲れの癒えるいいお湯。は~あっちちのち~
16:30 長野県安曇野市
常念岳、槍ヶ岳、穂高岳、鷲羽岳、今日もアルプスは素晴らしい。ぼくはこれを見たかった。そびえ立つ百名山を拝める安曇野は、いつか住みたい場所です。
明日はあれを越えるぞ。と、改めて道を調べると、旧安房峠が通行止のまま。あれ!?平湯~中の湯間はまだ災害通行止中でした。しまった。他にアルプス越えは、乗鞍か野麦峠しかありません。1800m級の峠で60km遠回りは洒落になりません。仕方なしに、佐野坂峠を越えて糸魚川へ出て、国道8号で千里浜を目指すことにしました。タイトルのアルプス越えは叶いませんでしたが、これも旅でしょう。脚を労れたと思うことにします。
いつかここで朝焼けのアルプスを撮りたい。今回それが叶えばよかったのですが、あいにく明朝は曇り予報でした。残念。アルプスを背後に記念写真を撮り、夕食を探しに安曇野の町中を目指しました。
途中、おじさんと出会いました。
「兄ちゃんどこから?水戸から金沢!は~大したもんやね。わしも君ぐらいの頃に四国まで走ったことあるよ。粗大ごみの自転車で3週間かかったね。職務質問は3回受けたから兄ちゃんも気をつけてな!はっはっh」
豪快
18:30 おおぼし安曇野店
昨日、上田で惚れたラーメン屋さんの支店が安曇野にもありました。支店は少なく、中信以外にはないそうです。支店であってもおいしさと接客は格別で、非常に気分良く後にできました。その気になって車で走れば安曇野は近い。また食べに行こう。
19:30 道の駅アルプス安曇野ほりがねの里
道の駅に着きました。屋根もベンチも手頃な場所にはありませんが、駐車場がやたら広いこの駅。ちょうど、野営でここに行き着いたカブの方もいらっしゃったので、ぼくも近くで寝ることにしました。ベンチでもなくアスファルトの上にエアマットだけで寝る。限界に近い。
穂高の方角では雷が見えますが、予報では麓には降りません。雷雲こっちに来なきゃいいな~と、談笑もそこそこに朽ちるように寝てしまいました。
4日目 8月12日 曇(最高34℃)
長野県安曇野市→新潟県糸魚川市 133.09km
今日は、安房峠を諦めて富山県境を目指します。下り基調ですが親不知を最後に控え、気を抜けません。
05:00 道の駅アルプス安曇野ほりがねの里
おはようございます。9時間熟睡。アスファルトって快適なんですね。車中泊の同士が近くにいる安心感もあったでしょう。おかげで疲れも少し癒えました。今日は佐野坂峠さえ越えてしまえば体力を使わないはず。がんばれそうです。
カブの方に朝食をおすそ分けいただき、人権のある朝を過ごしました。ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。今度はバイクで...笑
08:00 道の駅安曇野松川
今日が誕生日の友人にお祝いの電話をしたら1時間談笑していました。誕生日でもYZでモトクロスコースに行くんですって。さすがやな。
信濃大町のコンビニで休憩すると、ロードバイク乗りの姉妹に声をかけていただきました。行き先を尋ねると、申し訳無さそうに妹さんが山頂を指差しました。あ、なるほどね、なんちゃって爽やか系サイクリングね。悟ったお姉さんの顔よ。仕方ない、絶景は苦行の後に得られるものだから。お互いお気をつけて。
11:30 木崎湖
カヌーが気持ちよさそうです。まだ白馬三山は見えません。
ただ、白馬へ向かう列車は見かけました。大糸線直通の特急あずさ5号。新宿8時ちょうどです。今となっては下りは奇数号数、時代の変化ですね。
大糸線は、松本から糸魚川を結ぶ路線。国鉄路線は始点と終点の文字から路線名を取ることが多いですが(信州と越後を結ぶ路線で信越本線)、大糸線は少し違います。国鉄が信濃大町~糸魚川で開通させたことから大糸線。大糸線開業時には接続する信濃鉄道を国有化していましたが、大糸線のまま全通したそうです。
大糸線直通の優等列車は、穂高、白馬、アルプス、あずさ、しなのの順で登場していきます。定期列車はあずさのみですが、いつかは大糸線直通しなのに乗って白馬へ行きたいものです。
12:30 道の駅白馬
佐野坂峠(860m)を越え、雨が降り始めました。山に近づくと仕方ありませんね。白馬についたので、お蕎麦をいただきました。阿字ヶ浦のフラグを回収しました。穂高遊走でもいただきましたが、とてもおいしいです。お土産を実家に贈り、小谷へ向かいます。
姫川沿いを下ります。気持ちいいですね。自分の進行方向に川が流れていると、日本海が近づいていることを実感させます。
小谷(おたり)の語源は、麻の産地であった麻垂から転じたものという説があるそうです。どう見ても谷は小さくありませんから、なにか別の語源だろうと想像していましたが、やはりそのようですね。
下り基調ではありますが、上りもぼちぼちあります。あまり休まっている感覚はありませんね...
南小谷駅では、木崎湖で見たあずさが。なぜ南小谷まで電化されているのだろうと思いましたが、白馬乗鞍岳の登山口と役場の所在が理由そうですね。ここまでが集落の多いところで、この先は険しくなるという印でしょう。これほどの山間に9両の特急電車が停車しているギャップがまた面白いです。
南小谷からトンネルを数本通過。コンクリートに縦・横・斜めの溝が入った下り坂で、700C×23と細いタイヤの自転車には厳しい道でした。
14:30 道の駅小谷
道の駅に着くやいなや、立ち食い蕎麦屋が強烈に誘惑します。カレーうどんを欲していた矢先の出会いだったので心拍の高鳴りを感じます。ここはこらえ、おいしそうだったプリンとサイダーをいただきました。長野県内の道の駅ならよく見るもの(安曇野の飲むヨーグルトなど)の他に、織物のお土産が多かったです。景色は道の駅細入(富山県猪谷)に似ており、まだ谷はあれど海に近づいていることを思わせる雰囲気です。谷が広くなる様は、いつ見ても気持ちいいですね。
道の駅小谷を出発すると、ひたすら洞門を走ります。18kmのうち明かり区間は3kmもありません。国道156号の御母衣ダム近辺も洞門は多いですが、これほどの長くはありません。
15:45 根知駅
トンネルを抜けると、開けた谷が現れます。根知駅に停車するキハ120を見かけました。1両運転でコスト削減するために開発されたのに、短い全長による乗車人数の不足で2両編成が多くなってしまったという、おちゃめな車両。重厚なエンジン音と軽快な台車音の対比が癖になります。
根知駅周辺で、雨飾温泉の看板を多く見かけました。雨飾...?雨飾山...?あ、糸魚川あたりの山だったな!慌てて地図を確認すると、ちょうど根知から見えるそうで、少し寄り道。右側の一段高い双耳峰の雨飾山、雲を羽織り、美しい佇まいをしています。ひと目見て百名山だとわかるのは、深田久弥の選定がいかに秀逸か毎度ながら感心します。
雨飾山の名前は、雨乞い祈願に由来するそうです。雨乞山という名前は全国にありますが、雨を飾る字が素敵ですね。
根知駅へ戻る途中、川の対岸に公園があります。フォッサマグナパークとな。
ここは糸魚川静岡構造線の北端。ここから東側はフォッサマグナの領域です。フォッサマグナは、本州にある新しい地層の領域のことです。糸魚川静岡構造線がフォッサマグナの西縁なので、この線上は断層になっています。写真ではわかりにくいですが、西側と東側とで地層の色が異なります。東側が茶色になっています。
地質学には全くの門外漢です。糸魚川にフォッサマグナミュージアムがあるので、また来たときには立ち寄りましょう。
フォッサマグナミュージアム Fossa Magna Museum - 新潟県糸魚川市のヒスイとフォッサマグナのことが楽しく学べる博物館
16:30 新潟県糸魚川市
国道8号に交差し、ついに日本海を臨みました。ここからの旅路は国道8号とともにしますが、早々に難所を抱えています。親不知・子不知(おやしらず・こしらず)です。
断崖絶壁の麓、波打ち際のわずかな砂浜しか通れないことから、子は親を顧みる暇がなく親は子を忘れる、親不知・子不知という地名がつきました。その険しさは甚だしく、国道と鉄道でわずかな陸地を取り合い、北陸道は海上を通ります。ここを迂回する峠も、短い距離にも関わらず標高500mを越えます。
この親不知をバイクで通るには無問題ですが、自転車には問題です。ここは国道8号、トラック街道です。洞門をトラックとともに走るのは、正直怖い。親不知には雨雲が見えます。通るのは簡単ではないでしょう。白馬からの下り坂で思いの外脚が休まらず、体力は思いの外消耗しています。果たして無事か。緊張するな~
18:00 道の駅親不知ピアパーク
小雨になってきました。北陸道の下になんとか建物と駐車場をこしらえた道の駅です。よくここに道の駅を作ろうとしましたね...
親不知と市振の中間あたり、雨です。国道8号でありながら、洞門も30km/h制限。洞門も直線ではなく、上り下りとコーナーが多い。頼むからトラック同士がぼくのいるところですれ違わないでくれ。
洞門の中で片側交互通行。自分は先頭。背後にトラック。自分のせいで渋滞を作るわけにもいかないので、信号開通の瞬間に猛ダッシュ。15kg積んで450km走ってきた今の脚では40km/hが精一杯。脚を完全に切らしました。
19:00 たから温泉
なんとか市振まで出て、一瞬だけ富山県にお邪魔して夕食と温泉。富山県と新潟県の境にあるその名も境港では、たら汁があります。漫画のような盛り方のご飯をいただき、たらふくになりました。たらだけに。
20:00 道の駅越後市振の関
風雨の夜、屋根のあるところで寝れそうで安心しました。脚は消耗していますが、明日はほぼ平坦なはず。どうか、どうか無事に完走できますように。
5日目 8月13日 雨(最高29℃)
新潟県糸魚川市→石川県羽咋市 121.55km
5日目は、ゴールの千里浜を目指しひた走ります。
05:30 道の駅越後市振の関
おはようございます。本走の最終日は曇り時々雨です。太ももが休まりません。今日はクランク側をインナーギアで走って、できる限り足を労りましょう。
約束の地が待っています。Where the streets have no name(U2, The Joshua Tree, 1987)を聞いて鼓舞させます。消耗している脚でも不思議と漕げそうになってきました。さあ、行こう。
2回雨に降られ、2回目が長く、1時間降られました。これまでの酷暑とは一転して寒いです。
08:30 セブンイレブン魚津江口店
魚津のコンビニで、店員さんに「それツール・ド・フランスのジャージですか!?うわ~いいですね~!ジオスってどこの国の自転車なんですか?イタリア!かっこいいですね~!」と話しかけていただきました。
今回着ているジャージは、所属サイクリングチームのジャージと、ツール・ド・フランス山岳賞(マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ、白地に赤水玉の意)です。昔ほど上りは速くありませんが、好きな柄なので着ています。畏れ多いジャージに反応いただけてとても嬉しいです。お気をつけて~!と何度もご声援いただき、心がとても温まりました。ありがとうございました...!
12:15 道の駅カモンパーク新湊
富山もりんごの産地なんですね。暑さに効く爽快なりんごサイダーはたまりません。鯛の形をしたかまぼこ、見た目でも楽しめる心温まるひとときでした。射水まで来ると千里浜も近く。これまでの走行距離を思えば近く感じますが、実際はまだ30kmあります。能登半島の付け根、宝達丘陵を越えなければ千里浜にはたどり着けず、まだまだ気は抜けません。どうか脚が持ちますように。
さあ、最後の山越え。愛情一本!
大盛愛情定食でした。
碓氷峠、青木峠とこれまで越えてきましたが、どれだけきつくても勾配は8%ぐらいでした。今回は12%あります。この旅で上り坂で足をついていませんが、さすがに心が折れ、いよいよ足を着こうかとギリギリで踏みとどまりました。脚もつるかどうか瀬戸際です。自分の体重だけをペダルに乗せるタイプのダンシングをしても進みません。
氷見市に入って、すぐに石川県境になるかと思えば、目の前には稜線が何本もあります。近くて遠い日本海、走るしかありません。
水を切らしたタイミングで奇跡的に自販機を見つけました。ありがたい!ここのコーラもおいしかった。稜線も減ってきました。坂あと1本なら脚は持ちそう。もう少しや。がんばれ。ここまで走って来れただろう。
15:00 石川県境
県境だ!よし!もう坂はない!
下り坂、日本海が見えます。塩の香りも次第に強くなってきました。
いよいよ着くんだ。太平洋を出て、自分の脚で山を越え、自分の脚で日本海まで来たんだ。そっと、そっと噛みしめるように千里浜へ近づいていきます。
15:43 千里浜
喜ぼうにも涙が溢れてきます。きつかった。楽しかった。海水浴を楽しむ行楽客の中で、ただただ涙を流し続け、旅路を受け止めました。
DREAM. DARE. LIVE IT.
ALPS500
太平洋 :阿字ヶ浦(茨城県ひたちなか市)
日本海 :千里浜 (石川県羽咋市)
走行距離:583.20km
平均速度:19.4km/h
所要時間:4日10時間23分
金沢在住の後輩が千里浜に来てくれました。Graduation SSTR以来の再会、お互い相変わらずです。新車のジェイドRSに乗らせてもらうなど、2時間楽しみました。RSの足は少ないロールで好印象でした。ステーションワゴン好きなので、生産終了でも人気出るといいな。楽しい時間をどうもありがとう、またSSTRのときに会おう!
18:15 ホテルゆ華
旅のご褒美はツインルームのシングル使用!お世話になりまーす!
夕食、格別でした。なみなみに注いだハイボールをパーッと飲んでから、鯛のお刺身を一口。沁みます。自転車はこまめに休憩しなければならない上に、行動時間が限られるので、どうしてもコンビニを選びがちです。食に配分できない旅だっただけに、贅沢な夕食に終始舌鼓を打ちました。
のどぐろの塩焼き、ふっくらして脂のノリが素晴らしい。お酒を飲み放題、せっかくなので石川の日本酒 手取川と宗玄をいただきました。ご飯と日本酒だけでも存分に楽しめ、気持ちよく酔いました。ごちそうさまでした!
温泉にゆっくり浸かって身体を休め、心地よく寝ました。
6日目 8月14日 晴(最高33℃)
石川県羽咋市→愛知県犬山市 10.59km
最終日は、千里浜で旅の余韻に浸りながら、特急で輪行します。
10:00 ホテルゆ華
1泊2.8万円、GoToキャンペーンのおかげで1.8万円で宿泊できました。お世話になりました!
10:15 千里浜
この波音を永遠に聴いていたい。1時間座って旅を振り返る、千里浜恒例の過ごし方です。翌朝の静かな時間は、激走を引き立たせます。ああ、よく頑張った。
身体と自転車が無事で安堵しました。パンクひとつなし。出発前にO/Hしていただいたサイクリングチームの先輩に感謝しきりです。素晴らしい整備をありがとうございました。
名残惜しくも列車の時間は近づきます。千里浜をもう一往復して、道の駅へ向かいました。
11:45 道の駅のと千里浜
大好きな道の駅、今日も繁盛しています。ホテルで羽咋市の商品券3000円分をいただけたので、お土産代に充てました。絞りに絞って7000円。荷物もっと持てたらな~自転車旅の帰り道とは思えない大きさの袋を持って、羽咋駅へ移動しました。
12:30 羽咋駅
着いてしまいました。さあ、ばらしましょう。
順調にばらせたので、道の駅で買ったお弁当をいただきました。能登で採れた食材の天ぷら弁当。これがまたたまらんのなんの。最後まで千里浜にはぞっこんです。ありがとう千里浜、また来ます!
14:30 金沢駅
羽咋からは特急能登かがり火号、金沢からは特急しらさぎ号で帰ります。帰りはグリーン車。静かな車内に快適な座席。贅沢に行きましょう。
うたた寝から起きると、列車は北陸トンネルの直前。敦賀からループ線を越えて滋賀県に入ります。眼下には、自転車版SSTR第1弾 24 Century Rideで走行した国道8号 新道野越、奥には伊吹山が見えます。あのときは、1日で本州縦断しなければならず、大きなプレッシャーに晒されていました。日没3分前に完走した達成感が蘇ります。あのとき見たように、今日も伊吹は素晴らしい。見惚れているうちに乗換え、帰宅しました。
ALPS500
総走行距離:603.88km
日本は大きい。この身を以て、命を削る走りを以て、痛感しました。日の出も見れず、日の入りも見れず、アルプスも越えられない。描いたシナリオ通りの旅はできませんでした。それでも、闘う旅はできました。これ以上のことは、もう年齢的にもできないでしょう。人生に深く刻んだ583km。生涯忘れない26歳の夏になりました。
DREAM. DARE. LIVE IT.
Come Ride With Us.